ラジオの歴史は1940年代から
2013年より僕もラジオ番組を配信していますが、
ちょうど2016年に入り、4年目に突入しました。
いい機会なので、そんなラジオの歴史を紐解いていきたいと思います。
併せて今後は、学生DJ、学生パーソナリティ、学生MCも増え、
個人メディアとしてもラジオ番組というものがリリースされていくと思うので、
そんなラジオ番組の持ち方を比較しながら描いていきます。
まずは、日本におけるラジオの歴史から書いておきます。
1940年代は日本ラジオ元年
1939年といえば、第二次世界大戦がはじまった年でもありますが、
もともとラジオやネット、電話など通信事業は、そんな軍需産業の一環として開発されたという経緯があるそうです。
ともあれ、大衆へ向けての放送が始まったのがこの1939年。
NHKラジオで時代小説「宮本武蔵」の朗読番組が誕生しました。
朗読したのは、「徳川夢声」さん。徳川さんは、”話芸の神様”と称されるほどのスターでした。
そんな徳川さんは「彼氏」という言葉や「東京タワーを推したりもた方です。
このころは、そうは言ってもラジオは高級商品でした。
テレビ同様、ラジオを持っているお家へ出かけたりしてラジオを近所みんなで聞いた古き良き時代だそうです。
1960年代前半は口語的ラジオ爆誕
とはいえ、1940年代から50年代のラジオはお堅いものが多く、そのほとんどが文語体(書き言葉)だったそうです。
今のようなパーソナリティがリスナーに話しかけるようなくだけたラジオ番組というものの到来は、1960年代に入ってから。
大衆文化として受け入れられるには、やはりフランクさは必須。
そんなフランクさのあるラジオを開拓した土居まさるさん、すげーっす。
今までは一部の人しかパーソナリティとしてラジオ番組を発信できなかったのですが、
ここらへんからアナウンサーさんや文化人もラジオに参入してきました。
「土居まさる」さん:文化放送のアナウンサー
「毒蝮三太夫」さん:現場リポートにも力を入れる
「みのもんた」さん:文化放送
「吉田照美」さん
そんなラジオ界の黎明期を支えたパーソナリティが新境地を開拓し
今のラジオ番組があるのですね。
また深夜放送って今でも独特のノリというものがありますが、
そんな深夜放送がはじまったのも、リスナーからのお便りをきさくに読んだりしたのも1960年代からだそうです。
1960年代後半はオールナイトニッポン爆誕
チャンチャラン♪チャチャチャチャンチャラン♪
というあのメロディとともに始まる、みんな大好きだった安定の深夜放送「オールナイトニッポン」
ちなみテーマ曲は、「ビタースウィート・サンバ」という曲だったそうです。
うん、懐かしい。
その「オールナイトニッポン」の前番組として放送されていた「オールナイトジョッキー」が開始されたのは、1959年。
そんなオールナイトニッポンのパーソナリティとしてブレイクしたのが「糸井五郎」さん。
オールナイトニッポンが始まった頃は、丁度今の団塊の世代(1947~49年生まれ)が大学生だったことということもあり、
リスナー人口が爆発的に上昇。
一躍ラジオというものが広くお茶の間に浸透し、また大学生(未成年のための)メディアという位置づけも大きくなりました。
オールナイトニッポンのパーソナリティは、
「高崎一郎」さん
「斎藤安弘」さん
「高岡寮一郎」さん
「今仁哲夫」さん
「常木建男」さん
「糸井五郎」さん
の6名が日替わりでパーソナリティをつとめました。
そんなオールナイトニッポンのパーソナリティさんのすごいところは、4時間ノンストップトーキング!!!!
あの勢いというのは、戦後の日本を象徴するかのようなバイタリティの塊という印象です。
また67年、TBS RADIOの深夜放送「バックインミュージック」が開始されました。
最近ニュースステーションを降板された久米宏さんもこのころはラジオパーソナリティをされていました。
またこの頃は、パーソナリティが推す音楽が世間に浸透するという現象が多発していました。
なぜなら、まだCDもなく、音楽情報を得るのは90年代に入るまでレコードかラジオが主流だったからですね。
この当時の爆推し音楽といえば、
ザ・フォーク・クルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」
1970年代はタレントパーソナリティ時代突入
さて、時は流れ、1970年代です。
僕はまだ生まれていません。
この頃は「オールナイトニッポン」の第二次黄金期が到来しました。
ラジオに自由を!
ラジオで挑戦を!
を旗印に、多くのタレントさんがラジオ番組を持つようになりました。
台本もあいまいで、規制もそこまで厳しくなかった時代。
もうやりたい放題です。
そんな中でそれぞれのパーソナリティさんが個々に独自のタレント性を輝かせながらラジオをオンエアしていました。
この頃のタレントパーソナリティは
「笑福亭鶴光」さん:限界ギリギリな自由なトークが定評
「つボイノリオ」さん
「タモリ」さん
「ビートたけし」さん
「とんねるず」
などなど
この頃は、テレビ×ラジオがクロスオーバーしていった時代でもあります。
テレビとラジオの垣根を取り払っていったのがそのタモリさん。
「NHKつぎはぎニュース」というコーナーでは、テレビで取り上げられたニュースに面白おかしくコメントなどを混ぜて
ラジオで放送しちゃうという取り組みでした。
「テレフォンショッキング」という笑っていいともの名物コーナーもこの70年代にラジオ番組にあったコーナーをアレンジしてテレビ仕様にしたそうです。
そして伊集院光がラジオを始めるのもこのころ。
今でも現役パーソナリティとしてラジオをされている伊集院光さんの伝説が始まったのも今から30年弱前ということなんですね。
伊集院光さんというのは、そもそも架空のアイドル(芳賀ゆい)をラジオ上で作りあげるなど、
今までのラジオになかった挑戦をした方でもありましたね。
今では、ラジオ×テレビ×sns×雑誌などのメディアミックスが盛んにおこなわれていますが、
メディアミックスの先駆けとなったのは、間違いなく、この時代からでしょう。
70年後半は女性の時代
また70年後半、女性パーソナリティが登場しました。
女性パーソナリティの先駆けとしてデビューされたのが
「湯川れい子」さん:音楽評論家・全米TOP40など長寿番組を持つ
「大橋照子」さん:ヤロウどもメロウどもoh!
「千倉真理」さん:ミスDJリクエストパレードで優勝
「川島なお美」さん:華の女子大生DJ
ということで、プロっぽいラジオ番組というよりも「素人感」が愛され、
またリスナーと作り上げるラジオというものが浸透していった時代のように感じます。
80年代はミュージシャンがパーソナリティに
ようやく僕が誕生した80年代となりました。
ラジオの歴史、長いですね。
そんな80円台は、人気の歌い手さんがラジオ番組のパーソナリティとして登場。
「吉田拓郎」さん
「谷村新司」さん
「中島みゆき」さん
「桑田佳祐」さん
などが人気を博しました。
うん、中島みゆきのお時間拝借っていうラジオ番組が僕は大好きでしたが、
中島みゆきさんの唄って男女の悲哀とか、時代に対する叫びが多いから
中島みゆきさんて超怖い人?またはちょっと話づらい人????って思っていたら、
やばいねー!!!!!!
面白い!
中島みゆきB面とでもいえそうなくらいフレンドリー!!!!
明るい。
一気に中島みゆきさんが好きになりました。
劇場出身者もパーソナリティ時代へ
そしてミュージシャンの次に来たのが劇場出身者のラジオパーソナリティ時代。
「三宅裕司」さん
「宮川賢」さん
などなど
舞台だけではなく、テレビ、ラジオにも出演して、活動の場を広げた劇場出身者がこの時代を象徴するかの如く現れました。
90年代はハーフタレントブーム
今は、ハーフタレントが怒涛の如く到来し、リア・ディゾンなどもう遙か昔のようですが、
スザンヌやマギー、ローラなど沢山のハーフ、クオータータレントが進出しています。
この90年代にそんなハーフタレントがラジオパーソナリティになる時代になりました。
「ジョン・カビラ」さん
「クリス・ペラー」さん
「クリス智子」さん
「レイチェル・チャン」さんなどなど
このころから音楽を流す時に前奏の部分にMCをかぶせて曲紹介をするスタイルが浸透してきました。
英語交じりのかっこいい曲紹介×イントロでシビレたリスナーも多かったでしょう。
2000年代はニュータイプ時代
ここまでの流れで、
民法放送として「タレント」「文化人」「ミュージシャン」「お笑い」「劇場出身者」などがパーソナリティとして活躍してきました。
2000年、新世界の開幕。
ここからは今までなかったようなパーソナリティが突如現れました。
「やまだひさし」さん:ラジアンリミテッドですね!
「堀内貴之」さん:街のVOICEを取り入れる
「吉田尚記」さん:スタジオにPCを。ツイッターなどタイムリーな話題を題材にする
などなど
そう、snsというものの浸透がラジオを変えました。
よくあるのが、ハッシュタグをつけてツイートするとラジオ番組でメッセージとして拾ってくれるなどの仕組みもこのころから段々とでき始めましたね。
2010年代個人メディア時代
ラジオというくくりがだんだんとあいまいになってきて、
音楽や音声、動画を配信する手段の多様化から、
個人や学生でもメディア配信することが容易に安価でできる時代になりました。
高級な録音機材もいらない。
マイクもいらない。
スマホでも高品質の音源を録音できる。
Wi-Fiがあればどこでも発信できる。
ログの保存もカンタンになり、
youtube
ニコニコ
ツイキャス
ショウルーム
などスマホアプリとしても使用できるようなそんな風に変化してきました。
さて、そんなラジオ番組持ちたいという方には
ラジオ番組を持つ方法
4年間やってみて思ったのは、
続けることに大きな意味があります。
始めるのがカンタンということはやめるのも容易。
結局人気を博す番組というものは一朝一夕で完成されません。
トークの中にある呼吸や掛け合いなども、何度もやってみて体得するべきものだと思います。
僕的には、突拍子もないネタに走るよりも、
安定した空気のようなそんな安心できるラジオ番組を作ることが楽しいと思いました。
だって音は無限です。話す内容も尽きません。
そう考えると、
まずはメンバー探し
これは気が合い日程(収録などの)が合いやすい人を探すといいですね。
また粘り強い人
健康な人ほどいいと思います。
特殊な能力やトークスキルもいりません。
まずは、長期的にやれる仲間探し、ここです。
まずは、youtube、ニコニコなどでテストトライしてみるといいですね。
そこで経験したことを活かして、ラジオ番組のオーディションを受けてみるといいです。
また
自分は何者なのか????
これが明確であればあるほど、仕事に結びつきやすい。
つまりは、何を推していきたいのかです。
なんでもいいので、自分が得意とするジャンルでラジオするといいですね。
ライター:上條
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