今回はちょっと重い話なので、
そういうの苦手な人は飛ばしてくださいね。
今年の6月4日におれの母が亡くなりました。
突然の死でした。
暫くは、母がいない世界に喪失感と哀しさだけ感じ、
生きる意味なんてないのでは?と思ってました。
また暫くして、今度は生きるということについて考えました。
単純なquestionです。
『なぜ、人は生きるのか?』
無に帰すのなら、なにも持ち帰れず黄泉を渡るのなら
この世の中の全ては無意味?
そんな風に思いました。
そして、一つの結論に達しました。
それは間違ってるのかもしれませんが、
『人のこの露の命は自分の為に非ず、バトンのようなものだ。』と。
自分という因子きっかけ事象 存在 熱 可能性が
少しでも誰かのためになれば、そこに生きた証がある。
誰かにつなぐのが命、
仮に自分が完全に消滅 壊滅 滅消 水泡となっても
歳月の中で何かを誰かに託す 教える 与える 救ける 満たす 笑みくれる ということができたのなら
自分のちっぽけな人生万歳!
となる。
これが結論です。
そんな時に渡りに船で舞い込んできた、ラジオねこきっく。
おれはおれの全力を持ってこのラジオに向かい合おう。
そう思いました。
駄文すみません。
かみじょー
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