30代っていうのは、結局若いってわけでもねえし、かといってもう全てを諦めるほど悟りを開ける年でもねえ。なら、どう生きるかっつー話だ
face bookの最も偉大な点は、旧友の今や活躍をタイムリーに知れるところだと思う。
はや、30代。ある者はミュージシャンとして6弦をかきならしているらしい。
ある者は、整体師として活躍しているらしい。
また、家庭を築いた友人も多く、
過去と同じ世界線で時が流れていないかのような心境となる。
それでもほとんどの友達とは10年間会っていなかったりと、ふと思い出す程度になってしまっているが、
過去から今日までつきあってきた自分自身の成長はいか程なのか、振り返る暇もなく
世界は廻っているようだった。
では、客観的に捉えてみよう。
そう思った。
世界の偉人は30歳の時、どんなことをしていたのか?
これが今回のブログのテーマだ。
ビル・ゲイツ
1955年生まれだから、30歳となる1985年は、エクセルを発明した。
現在殆どのパソコンに当たり前のように入っているエクセルを30歳で開発したビルゲイツは
20歳の時点でマイクロソフト社を創設している。
残念なことを感じた。思ったほど深くビルゲイツを知らない、いや知ろうとしていなかった。
彼が何を感じ、どう採算を見込んで、どんな狂気や情熱に突き動かされてこの事業を成功、拡大してきたのか
おれは何も知らない。
きっとマイクロソフト社創立という言葉だけでは、語りきれない行間があるんだろうな。
まずは、おれは思うんだけど、過去の成功者がどういう経緯で生きてきたのか、それを調べよう、知ろう、興味を持とう、ということを
実際行動に移していかなきゃだと思う。
スティーブ・ジョブス
1976年(21歳)、初期のホームコンピュータ「Apple I」、その後「Apple II」を開発した。
Apple IIは大成功を収め、自宅のガレージからスタートしたアップル社は大成長。
1980(25歳)年の株式公開時に2億ドルもの巨額を手中にし、25歳でフォーブスの長者番付、27歳でタイムの表紙を飾った。
1984(29歳)年に発売した「Macintosh」が搭載したグラフィカルユーザインターフェースは当時のあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたもので、新たなコンピュータ像を創造した。
しかし、本人の立ち居振舞いが社内を混乱させたとして、1985(30歳)年にアップルから追放された。
アップルで巨万の富と名声を築くも追放。
以前やっていた月9の「リッチマン、プアウーマン」
の小栗旬演じる若手社長と重なった。
日本のドラマと現実のAPPLE創設者を一緒にしてはいけないだろうけど、
その厚みも思いもおれはよく知らない。
ビル・ゲイツと併せてどんな生き様だったのか知っていこうと思う。
夏目漱石
1896年(31歳)、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師に赴任後、貴族院書記官長・中根重一の長女・鏡子と結婚。
3年目に鏡子は慣れない環境と流産のためヒステリー症が激しくなり白川井川淵に投身を図るなど波乱万丈。
家庭面以外では、この頃漱石は俳壇でも活躍し、名声をあげていく。
鳥山明
1984年(29歳)DragonBallの執筆を開始している。
今も根強い人気のDragonBallが開始されたのは、もういまから28年も前というのが意外。
約30年間も一つの漫画が支持されるのは凄まじいことだと思う。
きっと鳥山明は今でも少年のような心、ワクワクを忘れていないんだと思う。
ここまで、共通するのは、おれは表面だけではなく、
実際の生き様をもっと知り、そして、誰かと接するときにも、
その背景や行間を読める余裕が欲しいと思う。
ブラッドピッド
1993年(30歳)、ロードムービー『カリフォルニア』でジュリエット・ルイスと再共演。
連続殺人鬼のアーリー・グレイスを演じた。また、犯罪映画『トゥルー・ロマンス』ではフロイドを演じた。
その年彼はShoWest賞の明日の男性スター賞を受賞した。
実際のピッドにとっての転機は翌年94年、interview with Vampireへの出演。
思うんだ。
年表上をあとで眺めてみると、
客観的に、ここであれをこうしたのが転機か。と。
しかし、リアルタイムでおれらは神様じゃないから、今しか見えない。
経験則から多少の未来を想定することはできるけど、
どこが誰にとって転機になるかは、まさしく神のみぞ知るセカイだ。
もちろん、偶然、偶発、遇機、まぐれ、たまたまのビギナーズラックの類で成功したり、転機を得る人もいる。
今回のブログを書いていてわかったのは、
30歳は、何もできない年齢じゃない。
当然ながら世界と勝負することもできる。
未来を大きく変えられる何かを始めることもできる。
自分の生き方を一新して違うフィールドに立つこともできる。
最後に
かみじょー
2013年(32歳)、ラジオねこきっくを始める。
この続きがどうなるか、もしかしたら犬死にしてしまうかもしれないし、
何かを残せるだけの仕事ができるのかもしれない。
大金持ちになれるかもしれないし、
犬死してしまうかもしれない。
まだ決まってないのなら、
自分で書いていけばいいとおもった。
かみじょー
2013年(32歳)、ラジオねこきっくを始める。
2014年(33歳)、東京に引っ越す。
2015年(34歳)、FM東京で土曜日の深夜ラジオ番組「おやすみねこきっく」(毎週)をはじめる。
路上ライブや、ボカロ制作、小説執筆にも精力的に行い、
人脈は政界、芸能界、文学界に留まらず、ゴリラやキリンさんとも話ができるようになる。
自身のサイト「kamijo.com」を開設する。
このkamijo.comは200万ヒット/日 するようになり、自身も後に
「モンスターサイトをつくっちまったぜ」とコメントする。
2016年(35歳)、結婚するもただ家庭に収まらず世界的な作品をアメリカ・ヨーロッパで制作開始する。
渡米を繰り返しながらも、家庭も大切にして幸せに暮らす。犬を飼い始める。
こんな誇大妄想を、となんとくだらないんだろう。と感じる人もいるかもしれない。
けど、くだらないから、楽しい。
夢を思い描けなくなったらつまらない。
それだけだ。
未来は白紙だ。
きっと自分の好きなように書いていいはずだ。
自分のしたいことはなにか?
どんな未来図を描く?
どんな大人になる?
大人になってからきっとこんなことを久方考えてもいなかったと思うけど、
大人だからこそ、いますぐそれを考えて
描いていくべきだと思う。
やるか、喜んでやるかの二択だ。
そこに無限の広がりを感じろ。ワクワクしてくるだろ。
ガタガタうるせえ!
やるぞ!
かみじょー
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