エリック・クラプトンのChange The World
おれは、エリックが好きだ。
声質にヴィヴラートに、どこか特別な癒やしを感じる。
まるで夏の夕暮れに縁側で涼んでいるような清涼感。
自分を許されるような、肯定的なメッセージを感じる。
That I can change the world
受け止め方は自由自在。I would be the sunlight
太陽を眺めてごらんin your universe
君の中に違う選択肢と無数の可能性You would think
考えてみようmy love was really something good
誰かに惜しみない愛情を注いでみようBaby if I could change the world
もしも、自分の限界がそこじゃないと思うのならBaby if I could change the world
もしも、自分の天井がそこじゃないと信じられるならI could change the world
世界に流されるんじゃなくて自分を信じられるはずI would be the sunlight
太陽が照りつける朝に下ばかり向いてないでin your universe
今まで向き合わなかった道を歩いてみようYou would think
思うんだmy love was really something good
愛情とかパッションがあれば旅は終わらないBaby if I could change the world
長い道の過程であきらめないでBaby if I could change the world
世界がどれだけ変わっても変わらない自分があればいいBaby if I could change the world
きっと思う程、君はちっぽけじゃないはずさ
まぁおれはこういう風にこの歌詞を解釈したわけだけど、
流行とか濁流のような激しい流れが待ち構えていたとしてもだ。
目先の困難に圧迫されそうな時は考えるようにしているのは
”自分の人生が潰える時に、きっと後悔もするだろう。”
”人生で挑戦できる時間もそれも全ては選べない”
ってことは、1日を無駄にしちゃいけない。
何かしらに感謝をして、1日を始めて
まるで初めてのように全てに感動を感じて成長していかなきゃだ。
1日を始めるにはリズムを整えることが必要
かみじょーが毎朝しているのは、
出勤前に、まずは祈る。
”かみさま、今日という1日を与えて下さりありがとうございます。”
”今日も1日家族とうちのねこと友人とクライアントと関わる全ての人をお見守り下さりありがとうございます。”
”震災で被災した方々が1日も早く復興しますように”
”ラッキー(友人宅の老犬)が長生きできますように”
”そして私は全てに感謝します。”
これは信じる神があるかどうかというよりも、
1日を感謝で始めたいという習慣。
比較してみるといいけど、1日を苦々しい気持ちで始めるのと
感謝で始めるのでは圧倒的に違う。
スティーブ・チャンドラーの『自分を変える89の習慣』にも書いてあるけど、
人生の縮図として1日がある。
1日の過ごし方を見ればその人の人生がある程度伺える。
つまり、習慣なんだよな。
習慣を正すことが、日常を変える。
日常の変化なんてなかなかわからないけど、
日常の変化ってやつが自分の運命を動かす、
どれだけ動いたんだろう、自分の運命ってやつは。
おれは人生ってやつを愛し、喧嘩を売ろうと思うんだ
まずは当然ながら人生ってやつは愛すべき対象。
命あっての物種。
人生、ビバ人生!ありがとう。
んでもそこで終わっちゃダメ。
人生には感謝するけど、支配されない。媚びない。
つまりは、見えないチカラとか(多分自分の深層心理だと思うけど)
ってやつは苦難も与えるし、無難な道に流そうとする。
または漠然とした曖昧な時間を運んでくる。
ぼんやりしてると、あっという間に流されてしまう。
だからこそ、喧嘩を売らなきゃいけない。
人生ってやつへの宣戦布告だ。
”おれはこんなもんじゃねぇ!”
”おれの限界をおれはまだ見てねぇ!”
”ここじゃないだろ!限界は!まだまだやれんだよ!”
そういう気概はいつまでも持ちたい。
充足感てそんなところにある。
周りが、自分さえも内心むりだろうっってことに挑戦してくこと、
そして、無可能という思考をぶっ壊して壁を吹き飛ばして
人生に風穴を開けて、自分の可能性の証明をする。
そう、自分以外に自分の存在証明をしてくれる人はいないし、
そういう意味での存在証明を発行してくれる公共機関があるわけでもない。
30代の生き方
30代っていうのは曖昧そのものである。
若いわけじゃないし、無力なわけでもない。
しかし、何かを極めたわけでもない。
んでもだ。
おれはいつも思うのだが、リタイアしてからそういうアウトプットや教育を始めるのは遅い。遅すぎるぞバカ野郎。
誰かを育てる、または自分は高思うんだぜ!ってやつを発表してくのは、20代でもできる。
10代だっていい。
「若造がデカイ事を言うな」
とかいう物知り顔のおっさんの言葉は無視していい。
人生は短い。
何かを極めるには努力が必要。
そして、自分が未熟であっても「未完」であっても
言えばいいんだ。
おれはこう思うよ!
ってさ。
そういう戒めを抱いているので、おれは「みかん」Tシャツをよく着ている。
まとめ
全員が当たりクジを持っているけど、どこかにしまっちゃってその場所がわからない。
でも身近にそれは必ずある。
特別な人が成功するのではなく、
それの存在を信じたものだ。
writer:かみじょー
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