消耗しない人間はいない
「まだ東京で消耗してんの?」とかいうタイトルのブログがあります。
ずっと胸に引っかかってたので、今回はこの「消耗」について語っていきたいます。
結論:消耗しない人はいない。どこに住んでいても人は消耗する。それでも人は懸命に生きている。
ということでこんばんわ。ラジオねこきっくのかみじょーです。
おれが今回言いたいのは、
消耗してんの?と言う言葉の裏には「自分は消耗してないぜー」という感覚を強く受けますが、
人はすべからく皆消耗しながら生きてます。
そして、消耗しながらも懸命に生きてるから素晴らしい。
それを「ははっばっかじゃねーの?東京なんかで消耗して」みたいな煽りをブログタイトルにしていると
これはイラっとくるを通りこして
「この人は思慮深くない人間なんだなー(遠い目)」という気持ちにならざるをえません。
根本的に消耗=悪という概念で語られてますが、
これはね、僕の住む長野であっても、東京でも高知でも生きてる限り消耗します。
摩耗します。
摩耗から生まれる摩擦や後悔・悲喜こもごもこそが生きてる証。
そして、そんな消耗してる大勢の人々に支えられて日本て廻ってるんじゃないかな。
だからね、池田さんには
「おれも消耗してる。おまえらも消耗してる。でもまけんな!がんばろうぜ!」って言ってほしいもんです。
そのほうが今までのヒール的、喧嘩腰な存在だった彼がそんなエールを贈れば意外だし、そこで一皮剥けて成長できるんじゃないかなって勝手ながら感じました。
まぁ彼が消耗してるの?って唱え続けるのならば、おれは「消耗しながらも、負けんな!おれは応援してるぜ!」って言い続けたい。
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消耗してるの?に隠された深層心理
深層心理的に、消耗って言葉を敢えて使うというのは、他ならぬ「自分が消耗してるという恐怖からの離脱感」から来てると僕は分析しますが、
結局消耗云々に囚われてるのは、他ならぬ本人なんです。
人は脆く弱っちぃ生き物だし、いつかは死に絶えて無に還ってしまう。
根源的な人が持つ恐怖心ですが、
そこから逃れるのは、不可能。
だからって折角生を受けてこの時代にそれぞれの国に生まれたのだったら、
そこで何かしらの生き様ってやつを刻みつけたい。
そこから逃げていては真の挑戦者にはなり得ない。
僕はそう思います。
戦っても逃げても一生の有限性がついてくるなら、
消耗して老化して、そして、泣いて汗かいてめっちゃ格好悪い思いをしても
それでも生きてるって実感がほしい。
消耗しようぜって言いたい
おれはまだ独身であり、守るべき存在もないので、気楽です。
立場や環境、状況は違うので、このかみじょーってやつは気楽で理想論ばかりでわかってないな。って思われるかもしれないです。
けどね、
それでもおれは胸を張って消耗し、胸を張って死に絶えたい。
それは花火みたいなあっという間の閃光かもしれないけど、
悔いない人生って逃げない人生だと思います。
消耗してんの?まとめ
ということで、消耗してる全国の皆さん、週末です。いっぱい休んでそして来週もガッツだぜ!
おれは君たちを応援してる。負けるな。
viva the enogh life to us ]
writer:かみじょー
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