おまえの読書の仕方は間違っている
おまえの読書の仕方は間違っている。
おれは今日ふと自身の読書に対してそう思った
結論から言えば、本を購入するということは、
その書籍一冊マルごとを味わうために非ず
たった一言、ワンフレーズと出会う為だけにある。
200ページの文量の中、そう、大海のような広大な領域から輝くものを見つける冒険、それが読書。
だからその99%が無為に終わっても一握りの砂を探すが如くだ。
どんな著名な作家、好きな作家、尊敬の念を感じる作家の作品であろうとも100%すべてが宝なはずはない。
100%を理解しようとすること、
「せっかく買ったんだから何度も読み返して深く味わおう」などとする強迫観念が
おまえの感性をぼかしてしまう。
一言でいい。
一言の財を探すこと、それこそが読書の本質と言えよう。
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学校の読書感想文は根本的にズレている
そもそも、そんな読書法、ここでいう誤ったピントがボケた読書法が定着してしまったり、読書の本質が濁っているのは
学校の読書感想文にある。
問題点は以下2つ
1.興味もない駄作を推奨してる点。
2.感想などという枠にハメて書かせようと強いる点。
指定図書などという押し付けがそもそも不要。
前出した通り、その人にとって意義のある書籍は十把一絡げで語ることはできない。
学校教育という無個性を推す視点から課された書籍にどれだけの価値があるだろうか。
「沈黙の春」を中学生に読ませてどうする?
それを誉れとすることに疑問も持たない教育の底の浅さ。
そして、感想文。400字詰め。2枚以上。
などという制約。
それはもう苦痛以外のナニモノでもない。
読書は感じるものだ。感想も自由。
一言を探す目的に800文字の感想は不要だろう。
おまえは何故本を読む
何故本を読むかと問われれば、それは自分のせまい世界を広げる、つまり見聞を広めるためだ。
webというものがどれだけ発達しても読書という習慣は消滅しないだろう。
人は一冊の本で人生が変わるわけではない。
また人生を変えるトリガーとなるのは本自体ではなく、その中に潜んでいる一言。
人生を大きく揺るがすのは、一言。
その剣先のような鋭さが人のココロに突き刺さるから、衝撃も受け、衝動を得、それがトリガーとなり得る。
つまりは、読書とは一言を探す旅だ。
当然、どの本にもその一言が潜んでいるわけでもなし
多くの本への旅の中で見えてくるもの。
宝を探すにはそれ相応の集中力とイメージを持って挑まなくてはならない。
パラパラめくって価値がないとわめくのも愚か。
まさに読書とは冒険なのだ。
writer:かみじょー
最近おれが買った本。確かに一言だけ胸に刺さるものがあった。すばらしい。
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