バズの呼吸
バズの呼吸、これはブロガーさんなら誰しもが記事を読んでいて
「この記事、くるっしょー!」とか
「この拡散の勢いならバズるの確定やな」って感じるところはあると思う。その感覚を信じて欲しい。
その感覚を自分に流用すればいいんだ。 byおれ
ブログのちからのmurakamiさんとのやりとりから。
@MinatoWorks バズの呼吸!見極めれたら記事タイトルに使えそうですねw
— T.Murakami (@SY_SI_Murakami) 2014, 11月 5
つまり、バズる記事、バズらない記事には呼吸がある!
それはそう、物質や水が呼吸するように
または、震動するように
記事自体にも呼吸があり、性格があり、
ブログは人と同じく人格を備えている。僕はそう思っただに。
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呼吸を知る方法
ネテロ会長がハンターハンターで言ってましたが、
「念とは心の所作。心が正しく形を成せばそれは想いとなり、想いこそが身を結ぶのだ。」
同じく、ブログも心の所作。心が正しく形を成せばそれは熱となり、熱こそがPVへと結ぶのだ。
つまりは、書いてる方の心が透けて見えるようなそんな記事もそうではない記事も
よくよく読み返してみると、
そこに書いた人の痕跡が残る!
そして、それがそのブログの人格を成すのだと思います。
バズの呼吸を知るためには、まずはこのブログが持つユニークアイデンティティを知るといい。
人を知る。興味を持つ。そして、自分を知り、自分のブログが持つアイデンティティを知る。
コレがバズの呼吸会得法の最初の一歩です。
いつからだ…?
敵の攻撃を待つ様になったのは、一体いつからだ
敗けた相手が頭を下げながら、差し出してくる量の手に
間を置かず、応えられる様になったのは?
そんなんじゃねェだろ!!オレが求めた武の極みは
敗色濃い難敵にこそ、全霊を以て臨む事!!
感謝するぜ、お前と出会えたこれまでの全てに!!
そう、ネテロ会長はめっちゃイイこと言いまくってるけど、
きっとルーティンで書いてるだけじゃだめだ。
もっとその高み、極みってやつを目指さないとな。
そして、murakamiさん
あなたは面白い゚+.(◕ฺ ω◕ฺ )゚+.
@MinatoWorks バズり色の波紋疾走っ! オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!!! ☆☆☆三(`ε´三)
— T.Murakami (@SY_SI_Murakami) 2014, 11月 5
ここまでまとめると
・人の記事を知り、己のブログの人格を知れば、バズの呼吸を知る登竜門は突破だ。
バズの呼吸には共通点がある
これは、バズる記事は神のいたずらでたまたまバズってるわけでもないし、
誰かの思惑の手のひらで踊ってるわけでもなし。
バズる度合いが豆鉄砲な時もあるだろうけど、
きっとまずは人に読まれるってことが必須条件なのですよー!
僕なら、めっちゃかわいこちゃんが谷間とかめっちゃ強調した写真アップしてるブログがあれば、喜んで毎日通っちゃうだろうけど、
そういうことじゃない。
人格がある。とさっき書いたけど、同様にブログは成長する。
今新たにブログ開設して一からやってみたけど、
一年間やってきたこの「ねこきっくブログ」と生まれたてのその開設したブログだと
そこにある空気が全く違う。
つまりは、やはりバズの呼吸というものはある程度そのブログを成長させる必要があるんではないだろうか?
子どもがなし得ることより、成人した後の方がやれることが増えるように
まずは自分のブログを育てる!
それがいわゆる「まずは300記事書け!話しはそれからだ」ってやつなんだろうな。
その他の共通点としては、
バズの呼吸はパッションに比例する。
これは必ずしもその通りになるとは限らないが、
時間、情熱、創意工夫を持って書いたブログはそれだけで熱量が違う。
最後に
人のために書かれたブログにはバズの呼吸がある
読む人視点で書かれているブログはバズりやすい。
何故か?
読み手はうーん!と唸るからである。
ひとりよがりな記事は正直なにをわめいてるんだ!っていう感じになって、拡散もされないだろうし
そもそも、バズの神!つまりバズ神に愛されないだろう。
そう、誰か読み手を想像して書くってのはそういうメリットがある。
バズの呼吸、これはブロガーさんなら誰しもが記事を読んでいて
「この記事、くるっしょー!」とか
「この拡散の勢いならバズるの確定やな」って感じるところはあると思う。
その感覚を信じて欲しい。
その感覚を自分に流用すればいいんだ。
ということで、バズの呼吸を知ることが、自身を奮い立たせ、バズらせるための1つの所作。
ありがとう。murakamiさん。
つまりはこういうことなんですね。
writer:かみじょー
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