残り時間を無駄にしない人生の数え方
まずは、なぜ今回この「残り時間を無駄にしない人生の数え方」という記事を書こうと思ったのか、紹介しておこう。
これは常日頃から僕の思考の中に潜んでいるものなんだけど、
”時間は有限”
これは当たり前のコト。
しかし、人は、死への恐怖から、その残された時間を水増ししてカウントしてしまう修正がある。
メメント・モリ=死を想えなんて言われても、
実際にそれを直視できるのは、身近な人が亡くなった直後くらいだ。
生きるっていうのは、とかくその死から目を逸らすこと、いやもっとわかりやすく言うのであれば死を直視せずに
忘れることが大前提となってくる。
さて、今回はそんな人間の残された時間の活用方法について綴って行こうかと思う。
人生のカウント方法
■0歳から10歳くらいまで
最も人生が長く感じられるのはおそらくこの頃。
一年が長く感じられるのは、30歳からしてみれば、一年とは今までの1/30のコトでしかないけど、
2歳児にしてみれば、それは生きた人生の半分に該当するから。
だからこそ長く感じられる。
しかしながら、その経験は乏しく、生きることに精一杯となり、
果てしなく続くだろう人生に対して終わりを意識なんかせずにただただ人生の本レースに備えて
成長していく時期がここにあたる。
■10歳から20歳
小・中・高・大学と数年毎に生活環境が変化していくのだから、
新しい友達、新しい場所、新しい環境に胸を踊らせて楽しくワクワクした日々が続く。
季節でいうなら、春から夏に移るような感覚を受けるのがこの年代。
まだ人生は果てしなく長い。
ある程度教養も得られたので、人生を俯瞰しある程度の見通しも付けられる年代。
だけど、季節の上り坂にいる時は、そこで冬を思わない。
そう、季節の巡り、春夏秋冬とは人間の成長の縮図になっている。
季節は巡るが、人生は一巡(春⇨夏⇨秋⇨冬)で完結することにそろそろ気がつける年頃となる。
人生が80年だとすれば、20歳だった僕からしてみれば
今までの生きた時間の3倍という量が残っている。
まだ何も終わりに着目する必要なんかないんだって思ってしまったのだろう。
■20歳~30歳
そして、大学を卒業し、社会人となる20代、30代。
ここで少しずつ年老いた両親を見て、人生の終焉というものを肌で感じる時期に差し掛かる。
ここでまだ人生80年なんだから、あと50年から60年もあるぜ!キャホー!と考えてしまうのか、
それとも人生の折り返し地点へと突入しているのか、
社会人ともなれば、職を変えない限りその一定のルーティンが続くのだから
そこから逆算してみれば、「残り時間」はより明瞭に浮かび上がってくるだろう。
ここで、まずはこの人生の残り時間の水増しをしてしまう思考を一旦捨ててみたい。
Question:今のポテンシャルで生きられる時間はあとどれくらいだろう?
30代から自分を取り巻く人生環境が変貌することに直面する機会が多くなるだろう。
・家庭を築く。
・体力的な下り坂を感じる。
それはネガティブなことではなく、人が夏から秋にさしかかり、若さという財産だけではなく、
今まで培ってきたものの集積を活かす時期への突入を意味する。
家庭を持てば、今まで自分でOWNできた時間を今度は大切な家族とシェアしていかなくてはならない。
時間を大切な人とシェアできることはすごく幸せ。
だけど、それとは全く別に一個人としての「残り時間」は更に少なくなってくることも意味している。
この記事で書いている「残り時間」とは、人生の残り時間というよりも自分が自分のために生きられる時間を指している。
その時間は貴重であり、かつて無尽蔵にあるように錯覚していた20代と比べると、明らかにそれ自体が
「実はそれほど多く残されていない」ということを痛感するのもこの時期。
残り時間の算出方法
■一日の内、自分で所有できる時間を割り出す。
僕の場合は、その12時間を仕事。5時間を睡眠に使ってしまうので、実質的な一日で自身が所有できる「自分時間」は
僅か7時間。
いや、7時間というのは随分と甘いカウントになってしまうので、
そこから移動時間やその他の何にも属さないニッチタイムを引けば5時間という所になる。
■一週間の内、自分時間を算出してみる
平日5時間✕6=30時間+休日12時間=42時間。
つまりは一週間あっても自分時間というものは丸2日間にも満たないことがわかる(僕の場合は)
更にそれを一ヶ月換算してみると、42時間✕4週=168時間(丁度7日間)
更に一年換算すると、
7日✕12ヶ月=84日。
30年間で、84日✕30年=2520日
つまりは僕の場合は残り2520日の「自分時間」が残されているというカウントとなる。
これを多いか短いか考えるのはその人次第。
もちろんここに独身の僕とは違うケース(家庭がある場合やその他の理由で更に自分時間を取れない場合)などを
考えれば、現30代の人間に残されている自分時間は
僅か2000日~3000日程度。
あと60年人生が続いたとしても、実質自分が自分のために使える時間は2000日しかない。
2000日しかないことに意識する人、
それをせずにただただ無限に続くように曖昧な残り時間の計算をして生きる人では、
一日の質、残された時間の使い方が大きく変わってくるだろう。
残り2000日の使い方
さて、ここまで長ったらしく人生の残り時間のカウントを僕なりにしてみたのだが、
結局人生とは一日の連続。
そう考えると、この一日を有意義に過ごしたい。
地図帳を見た。
30年以上生きてきて一体どのくらい広く世界が見れただろうか?
完全に世界を知ることはできないとしても、
この広く広く続く地球というものを理解する(実際目に触れる)ことをせずにその時間を失ってしまうのは
この上なく勿体ない。
また、人類70億時代。
一体どれだけの人と出会えるのだろうか?
出会いにも浅いものから濃いものまで多種多様。
2000日、毎日誰かと会ってみても2000人にしか会えない。
そして最後に、
この「自分」という得体のしれないモノの力を可能性を、どれだけ解き放つことができただろうか?
もしかしたら、画家としての最高の才能が眠っているのかもしれない。
ジャーナリストとしての先鋭たる才が潜んでるのかもしれない。
格闘家として世界のベルトを巻けるのかもしれない。
最高の教育者として、有能な人材を多く排出でき得るのかもしれない。
すべては仮定!
それを証明できるのは自分しかいない。
しかし2000日で証明できることは既に限られている。
30年生きただけの若造が人生を語るな!
そう思う諸先輩方もきっと多いだろう。
それは間違ってないし、正しい。
しかし、年老いて自分のスペックが全盛期のそれに及ばない時点でしたり顔で説教臭く人生を語っても
それはもう時遅いよ。
僕はそう思った。
これからの時代、僕よりもうんと若い人達が偉業を成し遂げたり、
大きな発明をする時代になるだろう。
つまりは旧態然とした年功序列制は既に罷り通らないくらい時代は加速していて、
誰もが発信者となれる世の中が広がっている。
誰もが主役となり得るのに、
どうしても誰かの足を引っ張りたがる。
それは人間のサガなのかもしれないけど、
改めて問いたい。
あと7年しか自分に時間がなかったら何がしたいのか?
その七年を濁濁とした感情に飲まれてただ埋没させてしまうのか?
それとも輝かしい何かに変えるのか?
それはどこを向いて、何を大切にして費やすのかによって大きく異なるだろう。
僕はこの時間を出来る限り、後進の育成へ、自己の挑戦へ、
愛と笑いに包まれた生活へ、
新しいイノベーションの探究へ、使ってみたいな。
そう思った。
こういう感情や思考も何かしら書き留めておかないと、日常に埋もれてしまうので、
こうして今回は書いておこうと思った次第です。
幸ある人生を!
幸ある毎日を!
そして幸ある7年を!
生きよう!
らいたー:かみじょー
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