8月23日東京へ行く
東京へ行く!って2年前の僕にとっては滅茶苦茶腰が重いこと、いや頻繁に行き来できないことでした。
東京まで諏訪から2時間半。バスなら3時間。お金も片道5000円以上かかる。
しかし、幾つかの出来事とそれに伴う考えの変化から、
東京へ足しげく行くことになりました。
7月4回。
8月は3回。関西へは1回。
9日に一回は東京へ行くような生活を今してます。
田舎者の僕が特にその行き帰りで気を付けていることを書いていきます。
電車って特別な空間だ
まずは、電車。
これは、もう毎回の移動手段です。
行き帰りで約5時間の時間が捻出されます。
そこで行うのが読書。
今度、旅する読書シリーズの記事も書こうと思いますが、
地元を離れると、
・感受性が高まる。
・感性が鋭くなる。
・合間の時間活用方法を考える。
・発見がある。
などのよいことがあるのです。
そこで、
バックの中はほぼ本。
バックの中身は、本とタブレットと名刺、充電バッテリーくらいしか入ってません。
本を行きの電車で読む。
この学ぶ時間の確保が意外とデカい。
普段以上にリーディングスピードが上がり、
またそこから学ぶことが大きい。
新宿へ着く
長野県民はのんびりです。基本。
県内のホームはみんなどこかユルユルと歩いてますが、
新宿に初めて行ってビビったのは、
みんな超急いでんじゃん!
そう、めっちゃみんな急いでる。
それが普通のことなんでしょうが、
田舎から来た人間は最初最も面食らう違いでしょう。
次第にそのペースに慣れていき、なんとも思わなくなりますが、
とにかくスピードが速い。
これは学ぶことがあるな!
いや、ユルユルと生きることも必要だけど、
今の時代、スピードに乗れないと勝てない。
郷に入れば郷に倣え。
まさにそれでした。
僕が東京に行く主な目的
・人と人を繋げる。
ちょうど今回の上京とお茶会をした内容については、
上記のユーリオさんとMIOさんが記事にしてくれていますが、
僕は23日、新宿へお茶を飲むために行ってきました。
お茶を飲むというとちょっと言葉が足りませんが、
長野に住んでる僕が東京でやりたいこと、
これは東京だけではないけど、
人と人を繋げること。
昨日読んでいた本、喜多川泰さんの「賢者の書」
その本の一節です。
”人は大きな夢を持つと、一繋ぎにならなそうなピースを手に入れることがある。”
”大きな夢を持つなら、今の自分と関連性がなさそうなピースにも何かと繋がる可能性があると信じることだ。”
そんな内容が書いてあったのですが、
まさに今してるのは、そんなところです。
人と会う、お茶する。語り合う。
その過程はそれほど重要ではありません。
最もその過程なくして、人が人と信頼関係を構築するのは昔から難しいでしょう。
SNSが主流となる今日でも、やはり人は人に会いたいし、
そこから何かを見出したい。
それを
”群れる”とか
”無意味だ”
と感じてしまう人は、
またはSNSなどで批判してる人。
その人と会う有用性や可能性の拡大にまだ気が付いていないだけ。
まずは、だれかに会ってごらんなさい。
きっとその楽しさを理解できると思います。
食わず嫌いならぬ、会わず嫌い。
これはもったいない。
本質的に人は人と出会うことは否定できません。
だって、社会って一人で生きてるわけじゃなし、
根本的にそういう人は羨ましがりなさみしんぼうさんだと僕は思います。
自分ができないことを人がしていると、羨ましくて仕方ないし、
それを認める自分も嫌だから、ついついネガティブに反応してしまう。
あなたのその感情の根源はどこからきているか?
きっと見つめなおすとさらにより良き人生が送れると思います。
もしもそこらへんを否定したいならさっさとSNS(そもそもSNSをしてる時点で矛盾)をやめて
山へでも籠って下界との接点を切って自炊生活の遁世的な暮らしをしたらいい。
もっと突き詰めて考えることができるならば、
その先、
”自分以外の人間の関係性を繋いであげれることができれば、自ずと自分の人間性もさらに構築される。”
ケチくさく、自分だけの利益を考えて、人に会っちゃダメです。
”ビジネスに繋がる人間関係が有用で、それ以外は無用”
そんなこと考えて人と会ってたら超もったいない。
ビジネスやお金儲けに繋がるか、繋がらないかそんなことは二の次三の次。
もっと大切にしなきゃいけないのは、
自分の人生が豊かですかー????
という問いかけにイエスと言えるような人間関係を作ること。
最終的にそれが全てに影響してきます。
ビジネスにも全てに関してもね。
利己的な出会いに両手を広げて受け入れてくれる人は多くありません。
もっと相手のことを考える。
相手のゴール、ビジョン、コンバージョン。
それがどこにあるの?
それを一生懸命に考えてみる。
そうすると、相手の望む人脈がどういうものかちょっと垣間見えてくる。
これをドッキングさせてあげられるようなそんな会を催す。
そんなところが僕がこの半年間やってきたことの主な趣旨です。
この趣旨が種子となり、今各方面で芽が出て来ようとしてますが、
ここでポイント。
あくまでもそれを自発的に促すことがかっこいい。
「この人脈は俺がつくってやったんだぜ!」
みたいな言葉はいらない。
あくまで黒子。
そう、黒子であればいいんです。
自己主張をすればするほど淀んできます。
淀みは構築を妨げ、そこに不必要な歪みが生じてしまう。
それはいらない。
あとは、極力人選して、本当にすすめたい人に薦めたい人を紹介するようにしています。
誰でも彼でもどんぶり勘定でオーケー!なんとかなるでしょ!
っていう考えで僕は人と人を繋ぐことはしません。
それはクオリティも下がるし、ベクトルも著しく統一感を失います。
後大切な点が二点。
”主催はしても主役はしない”
これはすごく大切だと思うのですが、
主催者は主催者であっても主役になる必要性はない。
いや、その反対。
会が始まってしまえばもうここは目立たないくらいの存在感で十分。
自分で主催して、そして自分が主役とか思ってる自己顕示欲が強い人も多いかもしれませんが、
そんな自分づくしの会を開いてもきっとそれが広がっていきずらい環境に陥りがちだと思います。
”皆が楽しかった!また次も来たいって期待してくれたらいいじゃん”
あんまりしゃっちょこばる、欲張ると疲れちゃう。
だから、最低限のゴールとしては、
参加者がまた来たいなって思えればオーケー!
そこがなければそもそも成り立たないし、
そこが大切だと僕は最も感じます。
帰りに気を付けていること
僕が最もいやなのは、
長野に帰ってきてから、長野ペースに戻ること。
新宿ではあんなにスピーディだったのに、
長野に帰ると人通りも少なく、
誰も急いでません。
まるで浦島太郎の感覚ですが、
ここで、また元に戻ってはいけない。
僕は阿呆らしいですが、
諏訪の駅を一人せかせかと歩き、
そして、車に乗り込みます。
以前はその東京と諏訪の距離の隔たりを強く感じてましたが、
最近はそれも普通になり、
まさにお茶を飲みに出かける感覚で東京へ行くような心持です。
そこに気負いもいらないし、
特別ななにかもいらない。
平坦にフラットに、日常的な場所として、東京という場所があります。
日常になってしまえば、そこで消耗する?
そんな感覚も浮かばないし、それが当たり前になる。
たぶん、どこ暮らしっていうことは全く関係ないって思います。
僕もこうして東京へ通う生活をしてみて思いました。
どこに住むかじゃなく、何をするか?
別に田舎でもオーケー!
行動量と配慮、これがあれば、どこでも楽しい人間関係が構築できる。とね、
ライター:かみじょー
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