パウロ・コエーリョ作アルケミスト
人生には前兆がある。
大切なのは、それに気が付くかどうかだ。
ここ数日間、無性に読みたい本があった。
パウロ・コエーリョのアルケミスト。
奇遇にもその本は、自分の職場にも何故か置いてあり、
更に自室にも一冊あった。
初めてこの作品を読んだのは、20歳の頃。
そのころは、飛んでもファンタジー物語だと思っていた。
それから、定期的に僕はなぜかこの本が読みたくなる。
理由はわからないけど、ふいにこの本が自分を読んでいる気がする。
そういうときは、その直観に従い、頁をめくってみる。
パウロ・コエーリョ、アルケミスト。
羊飼いの少年の冒険譚だ。
今まではただの冒険譚だと思った。
少年が天啓を受けて、大冒険に繰り出す物語はうなるほどある。
・シンドバットの大冒険
・アーサー王の冒険譚
・
きっと、どれもただの冒険譚ではないんだろうと思う。
その深層には隠された宝物があって、
読書とは、その本が作り出す世界を読者が冒険し、光り輝く何かを探し出す冒険だ。
と思った。
しかし、35歳を回って、人生の半分が終わろうとしている今、この物語「アルケミスト」を読み返すと、
この物語の奥行きが15年前よりもすこしわかった。
読書ってダイヤの原石を探すようなものだと思った。
たった一言でいいから、心のフックに引っかかる言葉を見つけられたらいい。
それが読書であり、読書のだいご味だ。
今まで何回読んだ本だとしても、
この日に引っかかる言葉と昔引っかかった言葉は違う。
だから、読書は面白い。
さて、まずは、今回僕の心に引っかかった言葉を紹介していこう。
アルケミストの箴言
羊飼いもまた、自由な旅の喜びを忘れさせる誰かがいる町を、いつか必ず見つけることを、知っていた。
→旅っていうのは、この物語の主人公のような、羊とともに、移動をしたり、住処を変えることだけではなく、日常にある。
毎日行うルーティンも旅。仕事も旅。勉強も旅。趣味も旅。
何かをすると、必ずそこに旅が生まれる。
そして、いつか人はその旅を終わらせてもいいと思えるような人と出会うのだ!!!
今もまだ捨てきれていない望みだった。
→この物語は少年が旅をしているけど、
実際にこの主人公は少年じゃなくて、我々なんだって思った。
アルケミストはファンタジーではなくリアル。
この世の中には、魔法みたいな不思議なことが沢山潜んでいる。
それは、何かを発見する出会いだったり、自分の心の源泉から湧いてくる望みだったりする。
しかし、いつしか、その魔法はリアルという中で埋没していって、いつしか見えなくなる。
つまりは、人は生まれもって平凡な人などいない。
日常の中で非凡さが失われ、平凡たるのだ!!!!
他人がどのような人生を送るべきか、明確な考えを持っているのに、
自分の人生については、何も考えをもっていないようだった。
→自分の事が一番わからない。
自分の望みはなんだろう。
自分はどこに行きたいんだろう?
自分は何者になりたいんだろう?
そんな自分の望みと対話したいのに、それが自分の事となると、
つい、デメリットに目を向けてしまったり、あきらめてしまう。
他人のことなら、自由に怖れず、怖がらず言えるのに!!!!
つまりは、きっと成功する(もっと単純に言えば行動を起こす)っていうことは、
もしかしたら、もっと気楽に投げやりに俯瞰して他人事のように自分の人生の選択を選ぶ方がいいっていうことなんじゃないかって思った。
基本的に「必要以上に自分の人生に恐怖して、選択肢が用意されている岐路を恐れて、人はいつも及び腰になってしまうからいけないんだ」
世界最大のうそって何ですか?
人は人生のある時点で、自分に起こって来ることをコントロールできなくなり、
宿命によって人生を支配されてしまうと言うことだ。
それが世界最大のうそじゃよ。
→この物語の序盤登場する不思議な王様メルキゼデックの言葉。
世界最大のうそが、人間が可能性を失ってしまうこと。
っていうことは、人は幾つになってもチャンスは無尽蔵にある。
旅に出るためにお金を貯めようとして、年老いてしまったパン屋さんのお話しがここでされていましたが、
結局、
準備
・お金
・時間
・資格
なんていうものはなくたって始めることはできる。
でも、「できない」っていう決断を正当化するために、できない理由ばかりを探し始める。
それが世界最大のウソ。
飛び出せる気持ちがあれば、人はいつでも変われる、または挑戦できる。
しかし一番重要なのは、おまえが自分の運命を発見したということだ。
→運命を発見する。
つまりは、自分の心からの望みに気が付き、従う勇気を得ること。
天運、地運、、きっかけ、トリガー
きっと本人が決心したときに様々な形でそれが人生に具現化するんだろうな
それは、一つの仕事かもしれないし、
一つの飲み会かもしれない。
一つの本かもしれないし、
一人の人物かもしれない。
人生は、自己のある自分以外の人物がそこに本当にいるかどうかを立証することはできない。
一は全、全は一。
鋼の錬金術師で出てきた言葉だけど、
もしかしてだけど、
僕も君もこれを読んでいるあなたも、もしかしたら、同一人物なのかもしれない。
同一人物が違うバイアス、いやデバイス、OSを触媒にして受信して形を変えているだけかもしれない。
そんな風に思うと、
今自分に起こることはすべて何かの兆し。兆候。だと思った。
まだ若い頃は、すべてがはっきりしていて、すべてが可能だ。
夢を見ることも、自分の人生に起こってほしいすべてのことにあこがれることも、怖れない。
→ここにもグッときた。
憧れに怖れているのかーって思った。
人は得られなかったときのがっかり感を生きているうちに学ぶ。
がっかりは誰もしたくないから、
必死になってがっかりしないように、無難でアンパイで健全で最低限の得られるものしか望まなくなる。
大冒険より、平凡な生活。
夢より明日。
知らない場所よりも知っている故郷。
知らない人よりも、身近な知人。
そんな風にだんだんと世界を小さくしている。
赤ちゃんから生まれてきたときは、
その逆だった。
無知で、無能、無力の象徴でしかない赤ちゃんは
未知の世界に飛び出すのは勇気がいることだ。
なぜなら、今まで自分を守ってくれていた母という壁はなくなるから。
そして、生まれいでて、成長し、だんだんと世界を広くしていくのに、
あるときから、こんどは世界をまた再び小さく、小さくしようとしている。
世界を小さくすることは、すなわち”死への予兆”
生きるっていうことは、世界を広げるっていうこと。
知らないモノに挑み、大冒険するっていうこと。
世界を小さくしてますか?
広げてますか?
結局、人は自分の運命より、他人がどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。
→人は自分が自分の人生をどう思うかよりも、
他人からの自分の評価を優先してしまう。
気持ちはわかる。
人に認められたい、褒められたい。
優しくされたい、必要ともされたい。
それを渇望している。
しかし、この魂は自己は、自己を正当に評価できないのだろうか?
自分がどのような人物でどうなりたいか、
それを決めるのは他人じゃない。
自分であるべきなんだ。
よく進路を決めることができない学生がいる。
彼らは、誰かが自分の人生の方向を決めてくれるのを待つか、
またはドラマみたいな大きなきっかけが訪れるのを待っている。
しかし、ある日気が付く。(大概は選択できるチャンスを失ってから)
本当にやりたいことはなんでも選べた。
ただ選ばなかった自分がいるだけだ。と。
宝物は流れる水の力によって姿を現わし、
また同じ流れによって姿を隠すのだよ。
→
宝物:自分が成し遂げたい夢、希望
水:時の流れ
つまりは、自分が得た勝ったモノはこの時間という川の中に確かにあった。
存在した!!!!!!
しかし、それに気が付かず、川は流れ去ることもしばしばだし、
またそこに欲しい答えがあるよ!というテロップは出てこない。
だからこそ、
自分に関係のないものなどない!と思って世界とかかわっていかなくてはならないのだ。
自分をしばっているのは、自分だけだ。
→自分をしばっているのは、自分だけ。
本当はそれは親でも生まれでも土地でも家柄でも学歴でもお金でもない。
誰も他人は本当の意味で自分を縛り付けることなんかできない。
しばっているのは、自分。
つまり、解き放てるのも自分。
自分がしばっていることに気が付かずに人生を終える人もいるだろう。
ほんの一歩の勇気、選択、行動が人生を大きく変えることも少なくない。
まずは、何が自分にブロックをかけているのか、ちゃんと見つけることから始めなくてはいけない。
男は、再起のドラマが好きだ。
一回敗れた主人公が立ち上がるドラマが好きだ。
そして
漢は再び、立ち上がった。
どうして、そのドラマが好きなのか、考えてみた。
人は皆、絶望している。
正確に言えば、絶望を体験し、自分の世界を小さく安全にしようと努める。
努力のベクトルとしては、逆方向だろう。
そんな自分の進む方向、縮まる世界に安心する自分に落胆するからこそ、
男は、いや、人は再起のドラマの中に、自分自身の可能性を感じ、涙するのだ。
アルケミストに登場してくる人物が象徴するもの
・少年→我々が持っている冒険心や幼心
・王様→人生の運命や宿命と言われるものを探求したいと思う自分の心
・少女→平凡に慣れすぎてしまった現代人
・羊→その日の生活のみしか見えていない人たち
・クリスタル屋の店主→夢を願うだけで挑戦しない狭い世界を満足している人
ということで、アルケミスト、人生の節目に読みたい、おすすめの本です。
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