人つなげ屋さんの人脈論今回は嫌われること
あけましておめでとうございます。人つなげ屋さん上條です。
さて、今回は人脈論「嫌われること」
嫌われることについての ・対処法 ・捉え方 ・そして乗り越え方 こちらを書いていきます。 |
ちなみにちょっと話は逸れますが、「嫌われる勇気」って本をご存知でしょうか?
なんか有名みたいですが、
実際に話題になってから本屋さんで「嫌われる勇気」を最初の数ページ読んでみました。
書いてあることは間違っていないと思うけど、ひたすらに読みにくい!
途中で僕は読むことをやめました。
結局、僕にはこの本の内容というよりスタイルが合わなかったんですね。
さてさて、本題です。
人つなげ屋さん的嫌われることの対処法
まずは、対処方法。
実際に嫌われる理由を分析してみましょう
Question
貴方が嫌いな人はどんな人
Answer
僕の場合は
・利己的
・あたまでっかち
・自分の意見が絶対だと思っている人
・権力的、高圧的な人
・否定的な人
・だらしない人(人・時間・お金に)
・そして自分の価値観と真逆すぎる人
結局、
「誰それに嫌われましたー!」
って言っても、
もっと突き詰めて考えれば、
それってその人と自分の価値観や生き方、優先順位が違うだけ。
つまりは、許容範囲を超えるタイプの人に時に人は嫌悪感を感じるのです(もちろん絶対ではないですが)
では、その「嫌い」っていう感情がどれだけ当てになるのか?と言えば
答えは、あんまりあてにはならない。
実際に「絶対ではない」自分の感性や価値観と
また「絶対ではない」空いての感性や価値観が違うだけのことなんです。
じゃあ嫌われることって何かと考えれば
それは
・自分が否定されているわけでもないし
・自分の生き方が絶対的に間違っているわけでもない
ただただ相手と自分の価値観が違うだけ。
それでも、一人ぼっちでいれば
人に嫌われることもなければ
人に好かれることもない。
行動しなければ
人にどうこう言われないけど
人に感動を与えることもない。
ということがそもそもの冷静に考えてみれば
「好き」とか「嫌い」の本当のところです。
学校や会社でこの好き嫌いを飛躍させると、
数の力や自分のコミュニティでの立場なども絡んできて
厄介になるのですが、
仮に今、嫌いな人がいた場合、
こう考えるといいです。
「僕はあの子が嫌いだけど、その嫌いっていうのは絶対じゃないんだ」
「実際に嫌いって思うのは、もしかしたら興味があるからかもしれないな」
「小さい!小さい!もっと歩み寄ってみようかなー」
そんな気持ちになれれば(なれればの話ですが)
きっと一歩も二歩も人として成長できるでしょうね。
人つなげ屋さん的嫌われることの捉え方
では次に人に「嫌われたら」どう捉えたらいいのか?
結論から書きます。
人間は生まれながらに一定数の人には嫌われます。
さらに
そこに深い理由はありません。
※意地悪などをして嫌われるのはもちろんいけませんよ!!
感覚的に嫌い
生理的に無理
合わない。
会ったことない人に対してもそういう嫌い、苦手っていう思考になるので、
きっと上條晴行の事を嫌いな人は一定数いてしかり!
僕は引きこもりでも内向的に誰とも接点を持たないように生きているわけでもないので、
きっと数%の人に嫌悪感を持たれています。
ここでダメな思考が
・嫌われている:好かれなきゃと自分の考えを崩すパターン
・嫌われている:嫌っている相手を攻撃しようとするパターン
これはいけません。
一定数に嫌われることは、実は返って良いことです。
一定数に嫌われるのが普通!
そう考えられることで嫌われることを恐れなくなります。
さっきの「嫌われる勇気」という本について僕が数ページで読むのをやめ、
この本はなんか読みたくないな!
って思うのと同じレベルの感情、感覚です。
人のことを嫌いになるっていうことはね。
人つなげ屋さん的嫌われることの乗り越え方
最後に嫌われることに対する乗り越え方。
これ大切です。
・悲劇のヒロインぶらない
▶まずはこれ!
私サバサバしてるからどうしても第一印象悪いし、嫌われやすいんだよね!
でも友達は数じゃないからゴニャゴニャ…
っていってる人たまにいますが
嫌われている自分てかわいそう!
みたいな自分悲劇に浸ってる感覚いりませんよ!
好きも嫌いも生理現象と一緒です。
嫌われたかなしいなんていうのは、
言い換えれば、「便秘でお腹痛い!」
というのと同レベル。
まずは嫌われている自分がかわいそうという呪縛から離れることが大切です。
・実際に「嫌い」っていう感情を人に発しないだけで大きくかわる
▶私、◎◎の事、嫌いなんだよね!って仲がいい子にちょっと言いたくなってしまう。
そもそも、嫌いという感情を他人とシェアしようとする(シェアして同意を求めて正当化する行為)
こんなことをやめるだけでよっぽどまともな人間関係を築けます。
私◎◎嫌い!
の裏返しは
「私のこと嫌わないでね!」
なんです。
好かれたい、
嫌われたくない
これに意識が向きすぎると不用意に敵を生み出します。
■乗り越え方について
乗り越え方はいつくかありますので箇条書きで
・暇人ほど好き嫌いにこだわる
▶暇人ほど、恋しい・寂しい・好き・嫌いに囚われやすい。
暇だから空虚なんです。
人を嫌うということ時代、自分が暇人だと思える信号となります。
・嫌われるのは当然と悟る
▶嫌われるのは珍しいことではない。人間は何もしなくても一定数に嫌われるようにできている
・自分から嫌い発信をしない
▶自分から嫌い発信をやめれば気持ちは晴れやか、敵の増殖も防げます。
逆に自分で嫌い発信をするから相手からも更に嫌われるんですよね。
・好きも嫌いも絶対ではないと知る
▶すき・嫌いの感情が絶対なら
なんで人は離婚するのだろう?
なんで人はけんかするんだろう?
つまり、好きも嫌いも曖昧あやふや。
絶対ではありません。
絶対じゃないからこそ、自分が嫌いだと思っている人を赦せるのですね。
・嫌われることに勇気はいらない、ただの生理現象だ
▶生理現象。朝起きて、ご飯食べて、たまにゲロはいて、排泄して寝る。
これと同じ。
つまりは生きることこそが人を愛し、また嫌うこと。
だったら、誰に嫌われても堂々としてたらいい。
・人生がいつか終わることを想像しよう。
▶余命3ヶ月でも誰れが嫌いとあなたは言っているだろうか
答えはノーでしょう。
つまりは、そういう極限の状況で揺らぐ感情は全部いっときのあてにならないもの。
今すっごく嫌いな人がいても、あなたが余命いくばくになればきっと赦せるはず。
好きも嫌いも精度も信憑性もそんな不確かなものです。
・嫌い発信した方はまけている
▶経験上、嫌い発信している人間の方がされている人間よりも劣っている場合が多いです。
無意味な攻撃をすることこそ、意味のないことはありません。
ということで、
多分、「嫌い」って思われることに怯えている人は一定数いますが
僕はさいごに言いたい。
「人に嫌われることなんで、
自分がおならすることと同じくらい他愛もないことだよ」
と。
意識の変化でこういうことも大概は解決します。
勇気をもって頑張って!!!
ライター:上條
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