ひとつなぎ屋さんの人脈論今回のテーマは孤独
ひとつなぎ屋さんの人脈論シリーズとは、
ひとつなぎ屋を営んでいる上條の主観や体験談、
人間関係に役立つノウハウなどを掲載していくシリーズです。
さて今回のテーマは「孤独」
人は誰しも孤独というテーマからは生涯逃れられません。
生というものも孤独な始まりであり、
生きるということは孤独と共存すること
死とは、一人黄泉へ旅立っていくこと
人生の至る所に「孤独」というものはついてまわりまり。
しかし、
ここで孤独とは忌避すべきもの。
悪いもの。
そういう風に考えてしまうのはもったいない。
というお話です。
孤独とは自分は此処にあるという目印
人は何かに埋もれたくなります。
一人ではいたくない。
なにかに属していたい。
誰かと一緒にいたい。
そうして誰かと時間や場所、イベントなどを共有することで
自分が感じる孤独というものの濃度を薄めようとします。
しかし!ここでちょっと待った。
この人に紛れて孤独を薄めるという行為は、
時に自分の今立っている位置や目的地さえも、ボヤかしてしまうのです。
孤独というものの最大の良さ
それは、一人今立っている位置をしっかりと感じられること
誰しもが孤独であり、
またひとりであります。
孤独こそ、自分の根源(つまりは基本的に人の力を借りず一人であるこということ)
これを忘れてしまうと、
誰かに依存したり、
判断を人にゆだねてしまったり
もっと悲しいのは
誰かの人生の一部となってしまうこと
人生の所有権を放棄してしまうことにつながりかねません。
もちろん、誰かとじゃないと見えない明日があったり
できないこともたくさんありますが、
基本的に人ときちんと向き合える人間は「孤高」であり、
自分の孤独としっかりむきあえる人物です。
一人できちんとやれるじんぶつは、
誰かとなら更にリバレッジがかかりもっと大きなことができる。
おそらく、自立や独立っていうのはね、
この「孤独」というものをきちんと自分の胸の中で受け止めること
そういうことだと僕は感じています。
現代社会は孤独を感じられない世の中?
インターネットが普及していない頃、人と人がつながり会えるのは、
・対面
・手紙
・電話
このくらいでした。
つまりは、以前はもっと身近な部分に孤独というものがあった。
それが、今は情報過多な世の中となり、
この孤独という感情をどこかに置き忘れてしまったように思います。
寂しい…孤独…誰かといたい…
果たして本当の感情でしょうか?
きちんと「自分ひとりで」やるべきをやっている上での感情でしょうか?
孤独というものは、けっして、敵ではない。
もっと言うならば自分の影のようなものです。
つまりこの感情自体が自分自身そのもののとある側面。
そこにきちんと向き合うこと、
これが本当の意味で「生きる」
または「人とつながること」のはじまり。
もう一度、自分の孤独を感じる良い機会になればと思い今回は書かせていただきました。
最後までお読み頂きありがとうございます。
ライター:上條
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