日常は兆しと象徴に満ちあふれている
今回は、日常にたくさんある「兆し」と「象徴」についてです。
最近のもっとも大きな自身の反省としては、
けっこうそういった「兆し」「象徴」というものをオートマチックに捉えてしまい、
毎日時間をかけて、自己対話をしていなかったことに尽きると思う上條です。
どうもこんにちは。
さて、今回の記事についてです。
◯今回の記事はこんな感じ
▶日常にある兆しや象徴の見つけ方
▶兆しと象徴とは
▶人生を好転させる兆しや象徴の見つけ方
ということでいってみましょう。
四つ葉のクローバーは幸運の象徴だと思うからそうなる
身近なものでも、興奮の象徴沢山ありますよね。
・ツバメが軒下に巣をつくる
・四つ葉のクローバー
・虹(虹に関しては国毎に認識は異なります)
・ゾロ目
などなど
”楽しいことがあるから笑顔になるのではなく、
笑顔になるから、幸せを感じる”
まず僕が言いたいのはこれ。
結局、幸せに感じるから幸せであり、
何かの象徴や兆しを見つけたから幸せになるわけではありません。
もちろん、「兆し」「象徴」にはそれなりのパワーがありますが、
当の本人がそれを受け入れず、心が曇り空であるならば
どんな吉祥を表す兆しも象徴も何も意味を持ちません。
つまりは、象徴や兆しというものはきっかけに過ぎず、
大切なのは自身の心模様と捉え方である。
そう思います。
とは言え、兆しや象徴には様々な人生を良くするヒントも散りばめられているのですが
これは自身で身につけるものや関わるものをきちんと選んだ方が良いとも思います。
ドクロマークのTシャツを着ている人の感性
ドクロマークがデザインのアパレル、意外に多いのですが、
そもそも、ドクロが象徴するものは「死」または「敗走」「失敗」
それを自分の衣服に用いるのはこれはこれでナンセンス!
僕はそう思います。
もちろん、そんなことは気にしない、
格好いいデザインだからドクロマークのリングを愛用し、
ドクロマークのTシャツを着ていく。
という方も少なくないかもしれませんね。
しかし、ここで考えてほしいのは、
ここを問いかけた方が良いです。
自分が心から好きなモチーフならば問題はないでしょうが、
この根底にあるものを見つめてみることも非常に大切ですね。
兆しや象徴はそのものがもっているモノと自分のジンクスが重なるもの
兆しにしても象徴にしても、これって2種類のものがあると思います。
◯そのものが持っている象徴や兆し
◯人が自身の経験則から感じる象徴や兆し
僕はモンステラという観葉植物が好きですが
これ、語源は「モンスター」からきています。
ハワイアン雑貨のモチーフにもなっていたり、
僕も家で長年育てていますが、
ハワイアン的象徴だと、
・「うれしい便り」
・「壮大な計画」
・「深い関係」
という意味を持ちます。
数年前に南松本のお花屋さんで出会ったモンステラちゃん。
このフォルムと威風堂々としている佇まいに惚れ込みましたが、
けっこうロマンチストな僕は植物を育てる前に
その象徴や花言葉を調べます。
となったわけです。
育てているうちに愛情もさらにわいてきて、好きになる。
好きになるから、もっと大切にしようと思う。
というプラスの循環が生まれる。
まさにこれが元々その物体が持ち合わせている象徴を活かすということだなと感じました。
象徴は自分にもあるセルフブランディングとは自己象徴をつくることだ
植物な動物、デザインやモチーフだけではなく、
人間本人にも生きていくと何かしらの象徴を得ることがあります。
これって自分にもあり得ることですね。
ちょうど今朝、FBにて小澤さんが「自身を表すキーワード」というものを募集していたので
書き込みしてみたら、
お返しに上條を表すキーワードをくださいました。
上條さんは
①お茶目
②愉快
③いつも周りに 人が群がる 人徳 人望の厚さ。楽しませてクダさって ありがとうございます
これは自分で言うのはあれですが
そういった側面を僕も他者に与えているのだなと感じ、
ちょうど今書いている記事とリンクしているわけです。
自己象徴も取扱を誤るとレッテルになる
これも体験談ですが、
前職の教育業界の某社では、ノミの心臓なのに傍若無人な上司がおりました。
その上司は事ある毎に自分の立場を誇示するために僕に否定的な言葉を投げつけてきました。
・できていないのは上條くんだけだよ
・誰が上かわかっているのか?
・俺に意見するのか?
・ダメ!できなっこない!無理!
人間教育に重きを置くはずの教育業界にて権威ある人から投げかけられる否定の言葉は
僕の心に突き刺さり、
と当時は思いましたが、
今思い返せば、
とそんなネガティブキャンペーンを跳ね返すことができるのです。
他者の声は時としてノイズです。
本質からかけ離れている。
そこにばかり焦点をあててしまうと
気がつくと自分で自分の人生を生きていない。
ノイズにまみれて、自身の声や望みもわからなくなってしまう。
これは危うい。
そう思います。
つまりは、「兆し」だの「象徴」だの言って来ましたが、
自分が受け取りたくないものは受け取らない。
物事、自分でRECEIVE(受取る)権利もあれば
Not RECEIVE(受け取らない)権利もあります。
また押し付けがましい人間の上から目線な押し付けも一切僕は受け入れません。
信じるべきは自分の感性。
決めるのは自分。
人生の所有権は自分にある。
これを忘れてはいけないのです。
ということで、いろいろと書いてきましたが、
ここまで読まれたあなたにも、自分を高めてくれる、大好きになる兆しや象徴がこれからも見つかると良いえすね。
Look at the Brightside(良き面に目を向けなさい)
ライター:上條
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