人生のやり残しを見つける方法
丁度明日はうちの母の命日です。
毎年6月はただただ儚い気持ちになるばかりですが、
今回の記事は「やり残し」について
これって、
・場所に対するやり残し
・人に対するやり残し
・自分に対してのやり残し
・仕事にたいして
・趣味に対して
・家族に対して
・友達や恋人にたいして
様々なやり残しが人生にはあります。
結論から書いておくと、
完全にやり残しなしで人生を終えることはできません。
僕らはいつだってやり残しばかりの人生。
それでも少しでもそのやり残しというものをなくす(気がつける、見つけられる)ようにするにはどうしたらいいのか?
今回はそんな事を書いていこうと思います。
やり残しは自分で感じるもの強いられるものではない
とはいえ、他者から、「これ、あなたのやり残しだよ」と強いられるのを僕は強く嫌います。
「する権利」があるならば「しない(選ばない)権利」もあります。
なんでもかんでも人様からのご要望を叶えることはできないし、
また自分が心から望まないことに対して僕は取り組むこと=やり残しを片付けるということではないと思います。
自分が所有している人生です。
どんな権力者でも年長者でも、他者に何かを強いることはできません。
やり残しは自分で見つけるもの。
自分で決めるもの。
そうであってほしい。
もしも、他者から強いられたことを消化していかなくてはならないという気持ちばかりが先行してしまったら
それは一体誰のための人生なのでしょうか?
ゆえに、僕は時に不義理もするでしょうし、
自分がしたくないことは頑固に致しません。
何かを強要されるのは本当にイヤなのです。
と、これもバランスだと思うのですが
・人から強要されずとも、実際に自分がやり残していることは自分が一番わかる
・やらないで後悔しそうなことはきちんとやっておくべき
そう思います。
いつまでも今と同じとは限らない
環境は一刻一刻と変化していきます。
昨日と似ている今日が始まったとしても、
それは昨日とは違う今日。
同じことが平行移動していくなんていうことはこの世界にはありえません。
つまりは、「やり残し」には期限があり、
いつまでも今の環境を保持できるとは限らない。
まさに、
”明日やろうは馬鹿野郎”
ということなんですよね。
そんな変化が激しい今日、
自分がやり残していることは一体なんなんだろう?
と自分に問いかけてみること、とても大切だと思います。
これはただ思考として捉えるのではなく、
実際に紙なりスマホなり、Pcでリマインダ機能などを使って
「やり残しているものリスト」
こちらを作成してみてもいいのではないでしょうか?
僕自身もやり残しているものは多く、
また雑多にしてしまっているもの
きちんと向き合っていないもの
ためているタスク、などなど
沢山存在しています。
何から取り掛かるのか
またその「やり残し」の期日は?
そんなことを考えて書き出してみると
そのやり残しに優先順位をつけることもでき、
また何をこの人生に欲しているのかも明確になってきます。
・やり残しているけど、やらなくても良いこと
・やり残していて、優先的にすべきこと
・やり残していて、時間があればやるべきこと
そんな感じで分別してみることも時に非常に大切です。
人毎にやり残しているものを考えてみる
また人ごとに、その人に対してやり残しているものについて考えてみることも大切です。
Aさんに対してまだやり残していること
Bさんに対しても然り。
もちろん、時間は有限であり、
すべてのやり残しを達成することが目的ではありません。
大切なのは、やり残しをしていることに対して
自分が何をしたいのか?
どれをしたいのか?
ここです。
放置していいと思うものに対しては、
たとえ角が立とうとも
放置しっぱなしでいい。
自分の心が欲しないことと大切なことを同じ天秤に乗せて考えることがそもそも間違っている。
またその重さや大切さは人によって異なるので、
他者から強いられるものでも、強要されるものでもない。
そう思います。
この記事を読んだあなたも、この先どのくらいの時間があるのかはわかりませんが
自分が成さんと心から願うことは、
やらない理由を探さずにちゃんと行動した方が良いです。
後に後悔せぬよう。
人生脚本家:上條
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