竹野鮮魚の死ぬまで生きてましたポップ
本日話題になっている「死ぬまで生きてました」のポップで話題の竹野鮮魚さん。
食材は、植物にしても動物にしても何かしらの命を頂戴して、僕らは食べてそれを栄養にしているわけだけど、
昨今のスーパーマーケットでは、売れ残りの廃棄がものすごい量になっていて、それも社会問題になっている。
命を頂戴して僕ら人間は食事をしている。
食べるとは、
人が良くなると書いて食べる。
この行為は生きていくためには仕方がない行為ではあるのですが、
お魚もお肉も、それが食事になるまでの過程を僕らは敢えて目にしないで食事をしている。
そんな過程を見ない、見ようとしない飽食の現在。
この「死ぬまで生きてました」という言葉には、
色々と考えさせられるものが多く詰まっているように感じました。
食材に感謝しない飽食の時代への警鐘
死ぬまで生きてました。
というのは、当然の話で、僕らは何かしらの命を頂戴して命を繋いでいるのだが、
食べる時の感謝の気持ちをついつい忘れがちだ。
いただきます。
ごちそうさまでした。
という言葉も元来は、命を頂戴している動植物に対する感謝、
またそれを作ってくれた生産者の方々への感謝と命への慈しみの気持ちを現している言葉であるが、
食べることに、無感情になり、
また奪った命を活用せずに捨ててしまう、廃棄することに対しての無感情は非常に怖いことだと思う。
そう思うと、
この「死ぬまで生きてました」のポップは、当然のことを書かれているのは確かだけど、
確かに、このお魚もお肉も、こうしてスーパーや鮮魚店に並ぶまでは、
生きていたんだなとか
家族がいたのかな?
とか
または自由に海を泳いでいたのかな?
などと思うと、
その動物の自由を頂戴し、僕らの栄養にしているということに改めて感謝を感じなくてはならない時代へと
きているのではないかなと僕は思う。
竹野鮮魚へのアクセス
ちなみにこの竹野鮮魚さん、非常に気になったので、場所なども調べてみたのですが、
〒854-0071 長崎県諫早市 永昌東町3-13 グランコート諌早駅前 1F
なんと長崎県にあるそうです。
これは九州にお住まいの方は是非とも行ってみるといいのではないかなと僕は思います。
今後も毎日、僕らは食べずには生きていけないのですが、
このお魚もお肉も野菜も、
こうして僕らが食べる数日、数週間前までは元気に生きていたのだなと思い、
感謝して食事をしていきたいな
そう思った1日でした。
人生脚本家:上條
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