人生の選択はやるか楽しんでやるかにしておくと人生が輝き出すお話
今回の記事は「人生の選択は、やるか楽しんでやるかだ」について書きたいと思います。
今日はさっきまで2時間半ほど15年来の親友、村木さんと深夜の長電話をしていました。
そんな長電話の中で
高円寺の超超超スゲェ美容師の桑原じゅんさんの話を聞かせてもらい
さっき、その桑原さんのサイトを拝見していたのです。
目標に向かってやるか、楽しんでやるか。人生に必要な選択肢は2つだけ ..
おお!
この方はすさまじく共感できるマインドを持ってる方だなと思ったし、
最近、人の記事を読んで心が熱くなることもそうそうなかったので、
久しぶりに熱い思いを記事にしようと思って、4畳半でベット以外は超ちらかっている自室のベットの上で寝転がりながら
今回の記事を書いている次第です。
さて、本題!
人生の選択に困ったらやるか楽しんでやるかで決めたら大概うまくいく!
上條も現在37歳になりましたが、人生の大きな岐路におります。
2年前に14年間勤めた超超超ブラックな企業(教育関係)を退社し、
そこからフリーランスとして様々な活動をしてきましたが、
今年の秋ぐらいにかなりの活動を一旦終了させました。
ここで思いました。
僕は一体何に情熱を感じ、
今世、何をするためにここに生まれてきたのだろう?
と。
人生は選択の連続です。
就学から、卒業、
友達つくり
出会いに別れ、
就職、辞める
恋する、別れる
今日のランチ何食う???
全部選択。
人生は無数の選択を意識的にも無意識的にも何かしらを選んで生きています。
ここで振り返ってみると、
そんな選択を何のため、またはだれのためにしてきたのか?
今回の記事を読んでいらっしゃる貴方も考えて見てください。
Question:一体どのくらいの選択を自分自身のために選んできたのだろう?
想えば、こう言う選択をしたら、この人は喜ぶかもしれない。
こっちを選べばこの人に怒られずに無難に済むだろう。
波風が立たないのはこの選択だろう!
そんな、自分以外の誰かの顔色ばかりうかがって僕も社会人時代は沢山の選択をしてきました。
でもね、
人生は選択の連続が作り上げる。
人生=選択
とある日ふと気がついたのですが、
他人の顔色や自分が傷つかない選択を繰り返してきたら
それって自分の人生って呼べないのではないかって僕は思ったのです。
いつか、ある日、僕は死にます。
おじいちゃん、おばあちゃん、そして母もある日天国に旅立ちました。
僕もいつかのある日、人生が最後のゴールにたどり着きます。
そうなった時に、
この選択について思い返す機会がもしもその時にあったとしたら
他人の顔色ばかりうかがった楽しくない選択をしてきた自分の人生は、
もう自分自身の人生ではないのではないかな?
という一抹の後悔が残るでしょう。
自分の人生の所有者は、終始、自分であってほしい。
仮に選んだもので誰かが哀しい思いをしてしまっても、
それは結局、何も選ばない人生よりは異議も意味も大いにあるんではないだろうか?
そんな風に感じました。
そして、家族にも相談せずに僕は仕事を辞めたのですが(辞めてから数ヶ月後に会社から書類が実家に送られてきてバレました)
さて、話を戻すと、
選択のない人生はない。
つらい決断をしなくてはならないことも時にはある。
そんな時に
「やるか」「楽しんでやるか」
この二択で選べばいいんじゃないか!
そこに自問自答の上、決断しました。
どうせやるなら楽しんでやった方が数万倍楽しい
結局、やるしかない選択肢なら、
しぶしぶヤル
いやいやヤル
仕方なくヤル
のではなく、
僕は楽しんでそれをやりたい。
いいも悪いも甘いも酸っぱいも苦いも美味しいも
どれも自分の人生であるならば
「来いよ!人生!僕は楽しんでそれを選んでやったぜ!」
と胸を張って生きられるようなそんな人生を歩きたい。
まぁそう思うわけです。
人間は脳内でまたは感情で捉えた通りに進んでいく
思い込みのプラシーボ効果。
とある実験があったそうです。
目隠しをした被験者に目隠し前に熱湯を見せました。
そして目隠し後にただの冷水を熱湯をかけると思い込ませてから腕にかけたところ
その腕どうなったと思います?
結果は、やけどと同じ症状、水ぶくれになってしまったそうです。
摂氏0度近い水温のものも、
それが熱湯だと信じることで身体は熱湯にかかってやけどしたと誤認する。
思い込みのプラシーボ効果、すごいですね。
熱湯をかけられるのは嫌だけど、
自分が今まで辛いなって思っていた選択、
・朝礼だるいな
・人前で話すの怖いな
・あの副社長、人として苦手だから関わりたくないな
・歌下手なんだよね
とかいう自分が「嫌」「苦手」「したくない」
そう思い込んでいたことも、
そこを避けられないならば、
「楽しんでやる」と決断してみる。
これは気休めとかじゃなくて心の深い部分の、深層心理にいるラスボスみたいな自分にそう信じ込ませて選んで見る。
そうすると、あら不思議!
なんか楽しくなってきた。
覚悟を決めた。
楽しんでやるっていう選択を選んだ。
そうしたらもう後は楽しいに決まっている!
そうでしょ?
逆に言えば、
楽しんでやれないなら選ばなければいい
逆に、
楽しんでやれないことは極力選ばない生き方をしたらいい。
それによって誰かに怒られても、
どうしたってそれは僕には「楽しくない」
ということは選ばないっていう生き方もある。
人には義務と権利があるけど、
それでも、人は誰かに隷属する存在では決してない!
相手が親だろうが、上司だろうが、
自分が所有する人生はその人のものではない。
波風、大いに立てたらいいんじゃない!?
※もちろん、自分の甘えや逃げでやることをしないのは違います。
僕は14年間も、仕事が全て。
上司が言うことが絶対。
社としての命令は正しい。
間違いはない。
そう信じてきましたが、
振り返ってみると、
上司の言うことも大概であるし、
社会人として仕事をするのは、人生の極々一部分でしかないよ!
ということ。
上司だろうが、先輩だろうが、恋人だろうが、親だろうが、
そんなことは一切関係ないんだなって思いました。
僕らはただの人です。
ミスることもあれば、
間違います。
絶対的なものは何もないけど、
自分の人生は、自分で選べることはできる。
だからこそ、
僕は、やるか楽しんでやるか?
この選択をいつも胸に
これからの人生を生きていきたいです。
そんなわけで、
10日後、村木さんの結婚式ですが、
結婚も大きな人生の選択。
ならば、楽しんで結婚式を挙げてくれ!
当日は上條、長野から馳せ参じます。
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