物事の見方を変えると人生が変わる理由
物事の見方を変えることが、その人の人生を大きく変えることにつながります。
どうもこんにちは、上條です。
物事の見方というものを変えると、大きく人生というものが変わってきます。
今回の記事は、物事の見方を変えることに役立つ、簡単な魔法の言葉と
そして、なかなか物事の見方を変えられない理由なども一緒にご説明していきたいと思います。
△非常に面白くためになるみくあゆみさんの「物事の見方」についてのYouTube動画です。
”人間は各々ものの見方を持っている。
そして同じ一人の人間でも、時が変われば同じ対象に対して違った見方をする。”
ベッカリーア(法学者)
まずは、法学者ベッカリーアの物事の見方に関する名言をご紹介していきましょう。
人間はそれぞれが物事の見方の尺度や角度を持っています。
それは人生で培ってきた習慣であり、いわばクセのようなものです。
そして少年から青年、さらに中年と年を経てその物事の見方というものは絶えず変化をしていきます。
それはその人に起きた出来事や、過去の実体験の集積によって変化していきます。
しかし、物事の見方の根底にあるのは、その人の人間としての思考のベースになっている部分というわけです。
いくら年を経ても物事の見方の根幹は実は変わりません。
物事の見方を変えられない理由とは
悲しいことがあった。嬉しいことがあった。
喜怒哀楽、それはなにかの出来事があったときに心に生じる感情です。
しかし、同じ出来事でもそれをイイコトとして捉えるのか?
それとも嫌なことだと捉えるのか?
これは人によって異なります。
これが物事の見方、というわけですが、
例えば、失恋をしてしまったときに毎回感じる想い、
失恋=悲しいことの方程式を自分の中で作り上げてしまったのであれば
その方程式を塗り替えない限りは、いつまでたっても
失恋はその人にとってかなしいことでしかありません。
人は、なかなか物事の見方というものを変えることができない。
その一番の理由は、
とある出来事=こういうもの!
という固定概念が出来上がってしまっているからです。
さらに、家族や友達、恋人などは、知らぬうちにその物事の見方を親しいものに強要しようとしてきます。
物事の見方は100万通りもあるのに、
自分と同じ価値観であってほしいと親しければ親しいほどに望んでしまうので
ついには他人の物事の見方まで口出しをしてしまいます。
その最たるものが「子育て」になるわけですが、
親の物事の見方をそのまま子育てや育児に反映させてしまいがちなので
子供の物事の見方というものが親によって大部分は形成させられてしまうわけです。
子供も子供で、自分を育ててくれたもっとも親しい”大人”である、親の物事の考え方に
ある時期は反発しながらも、基本的にはその親の物事の見方というものを踏襲していってしまうというわけですね。
エリック・クラプトンの「Change the world」
その歌詞の中にも、
”That I can change the world
I woudl be the sunlight
in your universe”
日本語にすると、
”さぁ、世界を変えることができるよ
君の宇宙で僕は太陽になるのさ”
なんていう歌詞がありますが、
実際に世界を変えるというもの、人の物事の見方を変えるということも
同じ意味だと、僕は感じますね。
物事の見方は100万通りある事実
物事の見方は100万通りある。
トーマス・エジソンの名言をご紹介しておきましょう。
”私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、
うまく行かない方法を
見つけただけだ。”
- トーマス・エジソン -
1万通りの失敗を重ねてきたトーマス・エジソン。
これも物事の見方の多様性をうまく表現した名言となっていますが、
もしも1回の失敗で、
この方法(または分野)=失敗
と物事の見方を固定してしまっていたら、
きっとエジソンさんもあのような成功をおさめることはできなかったでしょう。
物事の結果は、確定してもそこで人生は終わりではありません。
その先がまだ続いています。
つまりは物事の結果の先がまだある。
失敗に終わった=もうやめよう
失敗に終わった=別の方法をためそう
失敗に終わった=きっとまだ他の見方があるはず!
と失敗という一つの結果についてどのような物事の見方をするかによって
その先の未来というものが変化してきます。
物事の見方を変える魔法の言葉
物事の見方を変える魔法の言葉。
物事の見方を変える魔法の言葉、きっといくつもあるでしょう。
その人にあった魔法の言葉を発見するのが人生の醍醐味だと思います。
僕にとっての「物事の見方を変える魔法の言葉」
それは、
”それで、そこから何を学んだの?”
そう、その結果からいったい君は何を学んだのか?
それを自問自答してみる。
かなしい結果=悲しかったね
それで収束させてしまうのは非常にもったいないのです。
いいことも良くないと思うことも
成功も失敗も
そこから一体何を学んだのか?
と自分に聞いてみるだけ。
その答えに突破口があり、
今まではずっと悲しいこととして終わらせていた物事も
その失敗や哀しみがスタートラインとなる魔法の言葉。
たとえいっときは悲しいことだとしても
必ずそこからなにかを学んでいる。
そのことを学ぶためにあえてその時は失敗に終わったのかもしれない。
それでも、この魔法の言葉を自分に使う度に
物事の見方というものは1通りではなく、
そして物事にはまだ続きがある。
ということを再確認できます。
大きく負けても、それも一時的なこと。
人生は常に「今」「ここ」「私」この3元素しかなく、
今、私はここで何を学んだのか?
これさえ忘れなれば人は成長していくことが可能です。
子育てにも使える物事の見方を変える方法
子育てで親として子供の行動に対して腹がたった。
それはあくまでも、親である自分の物の見方からはそう感じるだけであり、
当事者である子供はそれとは違う感情や思いを持っています。
たとえ何か悪いことをしたり、テストの結果がよくなかったりしたときも
親として叱ることは簡単ですが、
そこで感情的になるのではなく、
「そこで何を学んだの?」
とやさしく聞いてみればいいのです。
そういった親子のコミュニケーションが取れれば、
子供も失敗をしたことにより、そこから次はどうしたらいいのかを考えるようになります。
それが子供の大きな成長にもつながりますし、非常に建設的であり、健全です。
一方的に怒ったところで、
子供に次にどうしたらいいのか?を考えさせる機会を与えず
ただ失敗に臆病になるような持って生き方は、
凝り固まった物事の考え方(=失敗はいけないこと、親に言えば怒られるだけ)
を植え付けるというマイナスしかありません。
物事の見方はいつだって変えられる
今日の話をまとめていきます。
物事の見方、これはいつだって変えられます。
物事の見方は1つではなく、
そして人生は続いていく。
物事には本当はどんなことも、イイコトも悪いこともありません。
その出来事を今生で経験し、
実際にそこでどのように考え、何を学び取るのか?
これが非常に大切ですね。
この記事を読んだあなたも、是非一度ためしてみてください。
「そこで、一体何を学んだのだろう?」と。
今回の記事は、みくあゆみさんのYouTube動画からインスパイアされて書いてみました。非常に良い動画なのでおすすめです。
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