ブログを書く上で必要なこと
ブログを書くということが習慣化されてもう3ヶ月が過ぎました。
ブログはアウトプットだとすると、
それ以上にインプットしなければいけないと思って読書量は昨年の8倍くらいに増加しました。
その中で、感銘を受けたことや学んだことは恩返しとして
ブログに活かして誰かに届けたい。届けなきゃ。
そう思ってます。
感謝が発端、そして成長や誰かを助けられるそんなブログであり続けたい、そうかみじょーは感じています。
そして、今回の記事でご紹介したいのは、「桜井章一さん」です。
桜井章一さんとは
桜井 章一(さくらい しょういち、1943年8月4日 – )は、東京都下北沢生まれの経営者、雀士、著作家。
雀荘の経営、麻雀の自伝・自己啓発の分野で書籍の出版に携わっている。
1960年代に麻雀の代打ちになり20年間無敗のまま引退したとされるが、その真偽は定かではない。
1988年3月28日に「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」を開設。
1991年に「雀鬼会」という組織を作り、桜井章一の雀風や生き方を意味する「雀鬼流」を指導している。牌の音は町田に道場がある。現在は閉店しているが、下北沢と札幌に牌の音2号店があった。
近年は、雀鬼流の指導者としても引退をほのめかしており、牌に触れないことも多い(近代麻雀での連載より)。
-Wikiより-
伝説の雀士の人間哲学からブロガーとしての成功する道を探す
「アカギ」という麻雀マンガがある。
アカギはカリスマ性があり、絶対に屈しない無敗で無類の雀士。
そんなアカギを地で行くのが桜井章一さん。
かみじょーが尊敬する作家さんは何人かいますが、その一人「桜井章一さん」
彼は伝説の雀士(麻雀のプロ)としても有名ですが、それ以上に執筆されている本が説得力がかなりあります。
今日はそんな尊敬する桜井さんの著書「壁をぶち破る最強の言葉」より
10個の言霊とそこから見えてくるブロガーとして成功するための10のことを書いていきます。
「ひとつのことだけにとらわれて固執すると、どんどん弱くなる。」
桜井さんは、「円」の感覚を大切にしています。
「円」で日常生活やその他もろもろの事象を表現することができます。
逆に「点」の感覚だと弱い。ひとつひとつの試合もブログの記事も単発ではなく、
すべては循環している、つながっているという感覚の「円」の感覚でブログを書く。
専門性だけに特化するのではなく、総合的に丸く柔軟に動く。
点をつなげば円です。
うまくいった記事にこだわる。
逆にうまく書けなかった記事にこだわる。
こだわるのはいいけど、こだわりすぎると全体像が見えなくなる。
常勝しなくてもいい。
時には負ける(アクセスが伸びない、減る)のもいい。
ブログを書くことでさえ、人生や生活という円の一部にしかすぎないのです。
生活の一部としてブログというものが存在すればいいですね。
「ただ生きている人は死んでいる。」
勝つのが大切なのではなく、どう勝負するかが大切。
同様に、ただ書く。アクセスを稼ぐために書く。知名度を上げる為に書くのではなく、
どんなポリシーをもって書くかが大切です。
ただ書きなぐることならいつでもできます。
しかし、誰かをまたは自分を活かすために文章を書いている人には勝てません。
コンプライアンスを守って
また、だれかの幸せのために活動している人は勢いがあります。
「使命感」をもってブログを書く。というと堅苦しくなりますが、
文は力なり。
情報も力なり。
それが誰かの役に立てることもあります。
そういう力を持っているのが文章。
惰性で書く。慢心で書くのではなく、「誰かを活かすブログ」でありたい。
そういうプラスの流れをもったブログは自然に人を惹きつけます。
「不調なとき、無理にそこから抜けだそうと思わなくていい。」
好調不調は潮の満ち欠けのように変化してます。
ずっと同じ調子でブログを書ける方はなかなかいないでしょう。
不調な時は
「また、満ちる時がくるさ。」とドンと構えていればいい。
全部含めて自分です。
好調な記事だけを愛してあげるのではなく、不調だったときに苦しみながら書いたものも同じくらい愛してあげましょう。
万物は常に変化をともない、同じ状態はありません。
ただし、好不調には必ず原因があります。
不調なときは更に成長できるチャンスなのです。
「生きる意味は自分のことだけを考えていては見つからない。」
「なぜ生まれてきたのだろう?」
「何のために生きているんだろう?」
そして
「なんでブログ書くんだろう?」
疑問に対する答えは他人は持ってません。
はじめから自分の中に予め答えは備わっています。
でも忙しいと人はその答えを忘れてしまいます。
そんな時は思い出しましょう。
「自分のことではなく、常にまわりの人のことを考える」
そうすると、悪い流れは止み、迷いは消えます。
大概は自己のために、自己最優先にするがゆえに生じるマイナスです。
私がブログを通じて思うのは
「人生は素晴らしい出会いというプレゼントを惜しみなく与えてくれる。」
「人を幸せにしてこそ、本当に評価される。」
「人は与えることでしか、なにも本当の意味で得られない」
「人のために尽力することが成長の最短ルート」
そうなんです。結局世の中を一人で生きているのではないし、
出会いから得られるものは数え切れない。
それに気づけるかどうかも、「誰かのため」に生きれるか、どうかなんです。
「どんなに強い守りでも、まもりである限り本質的にモロい。」
社会人になると保守的になります。
行動を選択する時にそこから生じるメリット、デメリットにばかり目が向きます。
マイナスなことはしないでおこう、卒なくいこう。
そんな考えになります。
それはわきまえとしては必要ですが、本当の意味で「生きてる」とも「活きてる」とも言いがたい。
桜井さんは「守る」ではなく「護る」ことが万能の言葉だと言っています。
守る行為に「攻める」が含まれると「護る」になる。
家族を護る
自分の生活を護る。
護るために現状維持ではなく、果敢に「攻める」
ブログを始める前と今との違いですが、
沢山のことを学べました。
その中で、「変化」を願わない生き方は安全かもしれないけど、
そこには新しい「発展」は生まれにくい。
今までと違うことをするという「攻め」があることで自分だけじゃない大切なものを護れる力が身につくのではないだろうか
そう感じました。
「心構えができるには、カラダ構えをキチンとする。」
健全な魂は健全な肉体に宿る。
何かをなすときに気持ちばかり先行しては空回りです。
心構えはカラダ構え。
それは、麻雀でも武道でもスポーツでもブログでも同様です。
ネガティブな心はネガティブな環境から生じます。
体調が優れないと、筆も重く感じられます。
だからといって筋トレをしなさい、とは私は言いませんが
身体柔軟に何かに強くとらわれずに生きることがきっと良い記事を書くことにつながるのだと感じました。
「挫折は、面白い。」
挫折のなかにこそ学びがある。
ブログを始めると失敗したくない、アクセスが昨日より減るのは嫌、
そんな感情が芽生えます。
しかし、失敗挫折の類いも含めて自分だ。
と最初に肯定しておけば、そんな瑣末な日常的挫折を恐れなくなります。
そして、挫折のなかで、うんと悔しがりましょう。
悔しいはバネです。
挫折は先生です。
何もかも順風満帆に進んでは成長のチャンスをのがしてしまうのでもったいない。
ブログでも仕事でも人間関係でも
うまくいかないときにはそれを改善する種が眠ってます。
人間としてのレベルを上げていくためにも沢山挫折して、そこから自己反省すれば人はもっと遠くまで行けます。
あたかも、サイヤ人が死にかけると更に強大な力を得られるように、
失敗は試金石。
成功の途中に見えてくる標識です。
「成功まであと3ヶ月」これが、
「失敗」や「挫折」と名前を変えて登場しているに過ぎません。
「失敗の責任は、すべて自分の責任として背負ってしまうほうが、ラクである。」
記事を書いた時にうまくいってもいかなくても全部自分で背負い込む。
他人とか環境のせいにせずに、自分の中に反省点を探す。
それがラクという言い方は変かもしれませんが、
一番書きやすいし、続けやすいし、最終的には成長につながるとおもいます。
うまい、下手、経験の差、コンディション、テーマ、投稿した時間帯など
色々な条件はありますが、
自分をさらけ出せる場所、それがブログなんですよね。
そう思うと自分自身であり居場所であり、
誰かと出会えるプラットホームでもある
そんな風に考えると楽しくて仕方ありません。
きっとこれからも素晴らしい方と出会えるでしょうし、
同期ブログの方々とももっと深い交流をしてきたいな。
そんな風に感じます。
もっともっと誰かに届けばいいな。
誰かを照らせるそんな場所になればいいな。
誰かを護れるそんな自分でありたいな。
それが私が今回、桜井章一さんの
「壁をぶち破る最強の言葉」を読んで感じたことです。
長くなりましたが、これからもどうぞ宜しくお願い致しますm(__)m
writer:かみじょー
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