かみじょー的恋愛論
テラスハウスを見て、
恋愛ってやつについて考えてみた。
あくまでおれ的恋愛論なので、共感は得られないかもしれないけど、いっきまーす。
10代の恋愛論
そもそもなぜ人は恋をするのか?
答えは「自分とは何者なのか?」
を知るため。
自分の輪郭がわからないから、誰かに投射したり、全力でぶつかってみないとわからない。
運命を人は探して旅をしている。
その旅人としての入り口が10代の恋愛なんだ。
ちょっと格好つけようとかわいい人とか、人気者、かっこいい人とつきあいたいな=恋愛という
定義が世論的にあって、ちょっとあれですが、
この頃大切なのは、
「自己開示」できる相手と付き合うことだ。
「ゆとり世代」から今は「さとり世代」なんて言われてるティーン達だけど、
傍から見てても欲がない。幼い感じを受けました。
まちがったっていいんじゃないの?
失敗したっていい。
自分に酔ってもいい。
本物を見つける前に、色んな人へ自己開示する練習したらいい。
これが10代の恋愛の礎となるのさ。
20代の恋愛
もうさすがに20代になるとひと通りコンプリートしてるから
俯瞰して自分や相手の力量の差や将来性。
相性、価値観。付き合う意味などを天秤にかけるのが20代。
相手に投射しなきゃわからなかった自分の輪郭にようやくタッチできるのが20代。
でも、まだ旅の途上。
発展途上。
ワンチャンばかり狙っていても自分の空白は埋まらない。
時間を埋めることと、自分を埋めることはまったく質が違う。
だからこそ、20代の間は、「相手に奉仕すること」を学んで欲しい。
相手に尽くすことでしか、自分は何も得られないのは、恋愛においても人生においても同義。
だからこそ、
ここで、自分が大切に思える人の幸せを第一に願って行動できる器を育てる絶好の期間となる。
しかし、結局「自分を見てくれ!」
「自分を埋めてくれ!」
という渇望に駆り立てられるのもこの20代ならでは。
でも本当はわかってるはず。
誰かに自分を埋めてもらうより、
誰かを笑顔にできたほうがよっぽどココロが熱くなって、嬉しくなるってことを。
だからこそ、まずは「相手ありき」
相手を喜ばせる。幸せにしてこそ、それが自分の幸せにつながるという真理をその身で体験してほしいね。
30代の恋愛
かみじょーはまだ30代なので、40代以降の恋愛については語れませんが
30代のポイントは「結婚相手を吟味すること」ではない。
そもそも結婚に対して、媚びることも焦ることもないんだ。。
結婚ですら一つのテーマにすぎない。
人生の全てを統括して語れるものではない。
そこに年齢的な言い訳から流されてはいけない。
大切なのは30代になったら
「リスペクトできない相手とはヤるな!」
もうこれは、リスペクト抜きの情事ほど、時間とコスト、その他もろもろの無駄はない。
そして、自分の空白はリスペストなしでは埋められない。
そう、そして、
30代の恋愛の醍醐味は「築くと気づくこと」
結局遠回りして色んな人と知り合い、
傷ついて、自分の胸の中に広がる暗い闇を見てきて
それでも尚、結局答えってのは自分の中にあったということを気づいて、
そしてかけがえの無いものを築き上げるのが30代。
それは恋愛だけではなくて、社会的な立場、役割であったり、
後進の育成であったり、
その他、人生は有限なのだって見に染みて感じられる30代に
「自分は一体何者なの?」
「どこが自分の果てなの?」
ってことをわかった上で
挑戦するのが30代なんだろうな。
それは人によって違うものだけど、
自分自分自分ていう我という殻を打ち破って
誰かと紡ぐ何かを構築するのが30代の楽しみ。
おれは思う。
人間はこんなもんではないはずだ。
ここで苦汁を舐めてる自分ではないはずだ。
もっと人は大きく変われる。
何かに依存しなくても、
誰かに媚びなくても、
自信をもって歩んでいけんだ。
そう思うよ。
かみじょー的恋愛論まとめ
つまりは、
「相手を大切にし、相手のチカラを引き出してあげる。信じてあげるのが恋愛だ。」
自分は二の次だ。
いつだって、人は一人じゃねえ。
それが恋愛って形ではなくて、友情でも尊敬でもいい。
難しく考えなくていい。
ただ、本能に従うな。
理性的であれ。
そして、常に相手を思え。
これがかみじょー的恋愛論の第一弾としては締めくくりになるかな。
10分で書いた割には言いたいこと書けました。
長文読んでくれてありがとう。
これを読んでくれたあなたのことも
かみじょーは愛してるぜ!
※かみじょー絶賛彼女募集中w
writer:かみじょー
コメント