ラットレースとは
ラットレースとは、働いても、働いても、一向に資産が貯まらない状態のことである。
働いても、働いても、一向に資産が貯まらない様子が、
回し車の中で、クルクル回っているネズミに似ていることから定義されていると、
ロバート・キヨサキが自著「金持ち父さん 貧乏父さん」の中で語っている。
-ウィキペディアより-
さて、どうもかみじょーです。
今年の目標はみなさんもう決めましたか?
かみじょーの目標はラットレースから抜け出すことです。
今回はその概要を。
そもそもラットレースというワードで一番有名なのは
ロバートキヨサキ著の「金持ち父さん貧乏父さん」に出てくるところだと思いますが、
お金のために働くこと自体は悪くないのですが、
結局一向に生活が改善されなかったり、浪費が抑えられなかったり
自分の夢が実現できずに、そのうちそういう自分の置かれた現状を「おかしいな!」と思えなくなり
ただ朝は慌てて仕事へ駆りだされ
仕事があることに安堵し、
そして、支払いや解雇に怯え
ただただ時間を、貴重な時間を切り売りして生きてくということがラットレースという言葉の今回の意味です。
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高学歴で成功する時代は終わった
「良い大学を出なさい。」
「偏差値が高い大学へ行きなさい。」
「名のある大学へいけばいい就職先があるよ。」
全ては幻想でしかありません。
それよりももっと自分の人生を有意義に使う方法や力を付けるほうが幾分も重要なファクターとなります。
今回はそんなラットレースから抜け出すための算段をご紹介。
ラットレースから抜け出すには
1.常識を疑え。
私たちはTVなどメディアの影響でイメージを持ちやすいところがあります。
例えば貧乏大学生がコンビニでアルバイトをしている風景がよくドラマであります。
そんなシチュエーションがよくありますが、
実際に貧乏大学生になってしまったら、コンビニなんかでチマチマ働くよりももっと稼げる方法はいくらでもあるはずです。
しかし、
「大学も忙しいし、他のバイト探してる暇ないもん..」
とか言っちゃって、その収入の得方に対して疑問を持ちません。
「もしかしてだけど、もっと稼げる方法あるんじゃない?」
「もしかしてだけど、もっと自由に自分の時間が使える方法あるんじゃないの?」
全ては疑問を持つことから始まると思います。
また、こんなシチュエーションもよくありますよね。
「会社クビになるのやだから、嫌だけど、残業しよう。」
「嫌だけど、会社の飲み会に付きあおう。」
我々は、就職すると同時に終わることのない恐怖心を懐きます。
当然のように得られるサラリーがある日、急になくなってしまったらいやだな。と。
この恐怖心が、不本意な選択を強いてきます。
転職、とんでもない!今月の支払いどうするの?
独立、とんでもない!先立つお金なんか毎月カツカツでないよ!
ここでも、疑問に持つことです。
「もしかしてだけど、もっと才能活かせる場所があるんじゃないの?」
「もしかしてだけど、独立するための資金とかためられるんじゃないの?」
「滅私奉公」
そんな張り紙が貼ってありました。
利己的な自分の願望を棄てて、広く貢献しなさい(会社へ)
全てを顧みず定年まで働いて、そして老後を幾ばくか過ごし、
土に還る。
ドキドキもワクワクもなく、
ただ怯え、社に仕える。
それを美徳とする時代は終わりました。
それでは自分の人生を胸を張って生きた照明にはなりません。
ヨボヨボの爺さんになってから、ふと若かりし日を振り返り、ちょっぴり疑問を懐きます。
「もしかしてだけど、もっと他の生き方あったんじゃないの?」と
2.無知な自分を知れ
そして、恐怖心とともに自分のマインドを停止させるのが、無知です。
また無知を認めない虚栄心です。
立場が上がれば、年齢が上がれば上がるほど、自身が無知であることを認めたがらない。
プライドがそうさせるのでしょうね。
訳知り顔で文句垂れてる高齢者様も
ソファでふんぞり返ってるお偉いシャチョウサンも
みんな無知です。
もちろん僕も無知です。
ここでの無知とは、
「まだ知り得ないことが沢山あるという事実」
これを指します。
天におわします全知全能の神では僕らはないから、知らなくて当たり前です。
当たり前だけど、それを認めない人が多いのも事実ですね。
だからこそ、自分の無知を知ること。
ここが今の停滞して固定化されたラットレースのレース会場から抜け出すチャンスやヒントとなるはずです。
3.変化を認めること
変化を認めることもラットレースを抜け出すための1つの方法です。
ますます短期間で世の中は変貌し、濁流のような流れは、そう時の流れは留まることを知りません。
さっきまでそこにあった泡沫は、もう元の泡沫ではなく、
浮かんでは消え、消えては浮かんでくのが現代です。
そんな現代にて、変化を認め受け入れることは必須。
ちょうど団塊の世代だった父さん母さんが生きた戦後とは全てが違います。
そんなもう風化したような常識を振りかざされても意味がありません。
つまりは、昔の常識は今日の常識にはなく、
また昨日の常識が明日書き換えられることもあります。
そんな中で、偏った古臭い概念の中だけで閉鎖的に生きてく事こそがこのラットレースです。
僕らはネズミで終わる気は毛頭ないというのに。
4.パラダイムシフトは短いスパンで起こっている
パラダイムシフトとは、大きな常識が変化(移り変わること)です。
通信手段1つ取っても、数年前は電話やメールでした。
その前はファックス。
ちょっと前は飛脚とかでしたが、
最近はメールからLINEなどSNSに移り変わりました。
それがパラダイムシフトです。
ダーウィン曰く
「生き残るのは、強い種ではなく、適合できる種」
奇しくも今絶滅の危機に瀕しているのが「ガラケー」こと「ガラパゴスケータイ」
僕らは日本という近代ガラパゴス諸島のどまんなかにいます。
海は危険だから飛び込めないという概念。
森は危険だから入らないという恐怖心
この植物は食べたことないから、きっと毒だろうという無知。
適合するには飛び込んでみなきゃ!
ということで、
このラットレースを抜けだせシリーズでは、僕がいかにあと一年でこのラットレースを抜けだして、独立するかを
実際のケーススタディを取り入れて書いていきます。
どうぞお楽しみに。
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