最近は謝罪の時代に
なんでも申年は芸能関係での不祥事が多い年だといいます。
さっきも日清CM放送中止
https://nekokick3.com/wordpress/2016/04/08/housou-chushi/
最近の傾向は、
・マスメディア【特に文春】などが不祥事をスクープする
・芸能人が謝罪会見
【ここで、自分の非を認めなかったり、雲隠れするバージョンが多い】
・1年くらい寝かせて、しれっと芸能界復帰。
先日の「待機児童の件」もそうだけど、
とにかく、最近は人の粗探しをして、そこから芸能活動縮小に追い込まれるパターンが多い。
自民党から出馬しようとしていた芸能人もこぞって粗探しをされていて、乙武洋匡さんはそのいい例です。
脇が甘いといえばそれまでだけども、傾向的に、
悪人を探し、とにかく叩きまくる。
そんな感じがしました。
ベッキーはどうすればよかったの?
ベッキーはゲスの極みのボーカルとの不倫疑惑で芸能活動休止。
これはあの謝罪会見がお茶の間の我々ではなく、スポンサー宛てに行われたのが致命傷。
テレビって芸能人て、スポンサーありきかもしれないけど、
しかしやっぱり見る側のことを考えて、謝罪会見をすればよかったと思う。
しかし、謝罪って自分が好きになってしまったんならば、それを貫き通せばよかったのかもなってちょっと思った。
line流出はかなり大きな問題だと思うけど、
それよりも、lineという個人間でのやり取りが流れてしまったせいで
自分が不義を働いたという印象を強く植え付けてしまったのが敗因だと思う。
優等生とかいわれているけど、これって芸能人としてもちろん自分のセルフブランディングはすごく大切だけど、
AKBだって恋愛禁止と謳っておきながら、かなりの数のそういうゴシップが流れている。
指原みたいに開き直って芸能活動をするには相当のメンタルが強くなくちゃできないことだけど、
視聴者やメディアが芸能人に対して過度な「幻影」を抱かせてしまっていて、
一個人ではなく、もうある種のシンボルとして機能してしまっている構造を一回ひっくり返さなきゃいけないと思う。
そう考えると、アメリカはそこらへんが日本と国民性が全く違って
売れっ子のアーティストが恋愛ゴシップとなってもそれが自分のブランディングとなっていることが多い。
ゲスのボーカルに対して思うこと
ゲスの人は、開き直って全国ツアーをやったりするみたいだけど、
実際に、一男性として見ると、ひとときでも恋仲になった相手に対して
泥をかぶる男気が必要だと思った。
「だれに謝ればいいんだ!」とか逆ギレしてたみたいだけど、
相手を貶めてしまったんだから、そこはちゃんとフォローした方がいいって思った。
乙武さんとタイガーウッズ
乙武さんの件で思い出すのはタイガーウッズ選手。
これはかなり酷似する状況だと思う。
つまりはこれは治らないし、また同じことをほとぼりがさめたらするだろうって思った。
しかし、
夫婦間のことを大きく取り上げて内情を知らない人達が面白おかしくああだこうだっていうのはちょっと違っている。
ベッキーと乙武さんはどっちも好印象、清廉潔白というイメージをタレントとして持っていただけに、
きっと本来の自分とのジレンマは大きかったんだろうなって思う。
芸能人に期待しすぎない世の中になればいいな
所詮芸能人といえども、僕らと同じ人。
成人君主でもなければ、パーフェクトな人格者でもない。
単なる人間。
タレント=才能っていう意味だけど、
そこをうまく生かしてテレビに出ているだけなんだわな。
そう考えると、人としての三大欲求も当然あるし、
嘘もつく。
人間は平均的に一日200回嘘をつくらしい。
日清のCMだって、お金をかけて、また多くの人の時間や労力を使って作ったんだから、
貫いたらいい。
矢口真里ももっと自分のブログとかでそんな自分の人間くささを認めたらいいって思うな。
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