ヒーロー像が人生に与える影響について
今日ふと思ったのは、自分の中のヒーロー像って人それぞれ色んな人物やヒーローというものが
自分の中にいるんだなぁと渋谷はカフェミヤマでパソコンをパチパチと打ちながら思いました。
人生に与える影響として、自分の中のヒーロー像=守護神のようなものです。
物事には「加護」というものが常に働いていると感じる今日このごろですが、
それは例えば
・地元の加護=生まれ育った地域というホームグラウンド的な加護
・家族の加護=肉親という家族や血のつながりの加護
・自分が愛用してきたものの加護=使い慣れたものには加護が宿る
・自分の心の中のヒーロー像の加護=自分が信じる憧れるヒーロー像の加護
・好きな本の作家さんの加護
加護っていうのは、
実際に場所だったり思い込みだったり、人だったりしますが
目には見えません。
この場所にいると仕事が捗るなとか
この人とイルとモチベーションが上がるなっていうのが今回僕が言いたい「加護」の定義です。
そして今回はヒーロー像とその人生に対する影響についてです。
僕にとってのヒーローは誰か考えてみた
1980年に生まれた僕としては週刊少年ジャンプの黄金期、毎週コンビニで立ち読みをするジャンプっ子だったと思います。
逆境に置かれても諦めないヒーロー。
才能はなくても努力で強くなるヒーロー。
そんなヒーロー像は、時に自分の至らなさを痛感させてもくれますが
自分がめげそうな時に勇気をくれたり、
また自分の選択基準となることが大きいですね。
今回は思い返してみて、僕上條の中にいるヒーロー像について書いていきたいと思います。
幕之内一歩は自分の中のヒーローだと感じた
さっきジャンプっ子とか書いてましたがこちらは週刊少年マガジンのはじめの一歩。
僕が小学生の時にすでに連載していたので、これもかなり長期連載ですね。
いじめられっ子の幕之内一歩がプロボクサー鷹村守と出会い、
ボクシングを通して
「強さとは?」という自問自答の答えを探していく痛快ボクシング漫画。
実際に元々いじめられっこでボクシングは素人だった少年が
日本チャンプにまで上り詰めていくというストーリーで
現在はパンチドランカー疑惑?があったり
ライバル宮田くんとの再戦もえらい長引かされているのですけど、
僕がヒーローだと感じるのは、
地道にリバーブローを叩き込んで逆境をはねのけるようなそんな
地道さっていうところに熱さとともに、強く憧れを感じました。
突き抜けるまで努力を地道に重ねると景色が変わる。
これってボクシングだけに言えることでなく、人生もしかり恋愛もしかり、仕事もしかり。
特にポンチャイ戦で初めて見せたデンプシーロールにはとても痺れました。
ダイの大冒険のポップは自分にとってのヒーローだった
ダイの大冒険。懐かしいですね。
血統で強い主人公ダイよりもへっぴり腰でちょっとズルい弱虫なポップの成長に痺れました。
もともとそこまで才能があったわけではないのですが、
それでも仲間のために、強くなっていくポップこそダイの大冒険のもう一人の主人公じゃないかなと思います。
このポップから学んだことは
結局、ポップは自分のために強くなったのではなく、
仲間を守るためという動機が大きかった。
今も僕の根底には
誰かのために本氣になれたならば、
自分が見える景色が変わってくるという考えが色濃く残っています。
スラムダンクの三井寿は僕にとってヒーローだった
ジャンプの主人公って少年漫画だからかもしれませんが、
めっちゃ強い人が多い。
血筋がよかったり、隠されたTUEEEE能力が発動されたりと
主人公としてはかっちょいいのですが、
一般人から見るとそれは共感にならないことがあります。
スラムダンクといえば素人から努力して、インターハイのスタメンにまで成長した桜木花道が主人公ですが、
僕はどっちかといえば、三井寿に強くヒーロー像としてのあこがれを感じました。
怪我が原因でバスケから身を引き、ちょっと不良路線に進んでしまった三井寿。
しかし、心の中ではバスケがしたい!
もう一回バスケ選手として再起したいという強い思いがあり、
その反動として一旦は湘北バスケ部を潰そうとしてしまうのですが、
恩師安西先生に再会し、泣き崩れながらの
「バスケがしたいです…」
男は単純なので、再起のドラマが大好き。
洋画でも弱小チームが再起する物語やロッキー3みたいに一回負けたチャンプがもう一度初心に還って再起するところに
きっと自分を重ねあわせてしまうんでしょうね。
うだつのあがらない現状でも、人生は何度でも再起できる。
再起するために対価が必要ですが、
一回散った花はまた咲かせることができる。
そんな人生ドラマと
好きなこと、やりたいことを人は簡単に投げ出せないという所。
そこにヒーロー像というものを強く感じます。
他にも色々と僕の中に存在するヒーロー像はいるとおもいますが、
結局、何が言いたいかと言えば、
幼少の頃から大人になるまでに自分が読んだり会ったり見たりした物語や人物の中に人は
自分のヒーロー像を見出す。
そして、どんなヒーロー像を見出したかによって
自分のその後にも大きな影響を与える。
よく、小学生や中学生に向かって親御さんが
漫画ばかり読んで!ってなりますが、
大人になってから思うと
自分がドキドキ・ワクワクしたり、ヒーローだと思う対象が
たとえ漫画でも映画でもそれを無為い止めさせてはもったいない。
また親の立場から考えると、
実際に自分の子供が少年期に何を読んで育ったかによって成長や思考が大きく変化するので
親としてはちゃんとそれを共有できればいいのではないかなって思います。
ヒーロー像を抱いて終わりではもったいない
とはいえ、あの人は僕のヒーローだ。
おしまい。
って言うのはもったいない。
ヒーロー像をもちながら、自身も誰かのヒーローになれるように成長していく。
人は自分の人生に生きるか、誰かの人生に生きるのか?
つまりは憧れだけで終わってはもったいないし、
いずれそのあこがれを凌駕するような人物に成長していかないと。
ここだと思います。
当然ながら朴念仁、ただの一般人な僕が簡単にヒーローになれるかどうかといえば
それはまた難しい話ですが、
ヒーローって結局、自分が自分の人生を省みた時に、納得できる生き方ができているのか?
また、誇りを持って生きてるのか?
ここだと思います。
自分を自慢する必要もありませんし、
誰かに自分のヒーロー像を押し付ける必要もない。
目立たなくてもいいから、
自分が納得できればまずはスタート地点に立てたのではないか。
まぁそういう風に思います。
とにかく、僕の中のヒーロー像はこう語りかけます。
「とにかく、連打!連打!もっと行動しろ馬鹿野郎!」
と。
僕も子供ができたら、人生讃歌ジョジョの奇妙な冒険は一部から一緒に子供と読みたいなぁ。
ライター:上條
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