成功する宗教勧誘について考えてみた
成功する宗教勧誘と
失敗する宗教勧誘について。
※上條は無宗教なので特定の宗教について信仰はしていません。
とある日、実家にてお風呂に入っていたら
親父が風呂場を開けて言う。
親父「なんかおまえの高校の同級生の女の子が来てるぞ!」
僕「え?アポもないし、実家に自分いること稀なのに…嫌な予感がするなー」
そして急いで身体を拭いて玄関に行くと
まったく知らない人やーん!!!!!
ってなりました。
用件はといえば、
・なんかの宗教団体に入りませんか?という内容でした。
しかし、正式なパンフレットもなければ名刺もない。
ただただ入ってほしい!入ってほしい!っていう繰り返し。
当然お断りして帰ってもらいました。
一息ついて考えたのは
「成功する宗教勧誘」
「失敗する宗教勧誘」
この2つの違うはなんだろう?
今回は宗教勧誘でしたが人間は何かしらの営業をして生きています。
自分が他人に何かをすすめることもあれば
相手から何かをすすめられることもあります。
その勧誘が成立することもあれば
成立しないこともあります。
その差、違いはなんだろう?
と車を運転しながらウンウンと考えて幾つかの結論がでたので今回はそれを記事にしていこうと思います。
失敗する宗教勧誘の特徴
まずは失敗する宗教勧誘の特徴から行ってみましょう。
項目毎にまとめていきます。
■失敗する宗教勧誘の特徴 ・勧誘者の欲求が全面に出ている ・必要性をかんじられない ・警戒心を解く前に勧誘が始まる ・会話のコミュニケーションが取れていない ・視野が狭い ・自分の考え以外を受け入れない |
一個ずつ見ていきましょう。
・勧誘者の欲求が全面に出ている
まずは勧誘者は何のために勧誘しているのか、もう一度考えてみましょう。
1.自分の団体での評価を上げたいから
2.利潤を求めて
3.良い活動をしているので多くの人に伝えたい
まずは、大義名分としては3が来そうですが、
実質はどの団体も何かしらの利潤を産み、それなりに会員がいないと成立しません。
ということはほとんどの勧誘目標は自分の団体(または自分)の利益のための勧誘となります。
これが勧誘される側としては、かなり大きな反感を感じてしまいます。
結局、君の利益のためかい!
僕は利用されないからねー!と更に警戒心が強くなりますね。
・必要性をかんじられない
僕は特定の神を信じていません。
むしろ自分の神さまに関する考えとしては
神さまっていうのは、自分の内側にいる。
神さま=自分の自己肯定感だったり、自信や良心というものなんだと思っています。
だからこそ、自分に自信がない人間は
「何かしらのパワーを持っている人に縋り、間接的自己肯定感を埋める行為となっている」
と思うのですね。
本来ならば、自分で自分のバランスを保てればわざわざ何かしらの神さまを信仰する必要がないのです。
神さまを信仰しなくてはいけない心理状況とはなんだろう?
という風に考えてみたのですが、
・家族
・健康
・恋愛
・教育
・人間関係
などでトラブルがあり参っている人
・自己肯定感が持てない人
そいういう人の最後の砦として宗教に入信する人の入信動機と僕はなると思うわけです。
となると、
結局勧めた時にそういう心理状況でなければ、そもそも特定の神さまを信じる必要性がない。ということになります。
・警戒心を解く前に勧誘が始まる
次に「警戒心」
人間は初見の相手に対して警戒心を持っています
・この人の狙いはなんだろう?
・一体なんのために訪ねてきたのだろう?
・自分はどんな損をしてしまうのだろう?
・どんなリスクがあるのだろうか?
など考えますが、
結局、この人は誰なの?
または
知らない人がきたよ!怖いこわい!
という警戒心。
しかありません。
よっぽどのお人好しでもない限り知らない人(誰からの紹介でもない場合)に
警戒心なしに相手を受け入れることはでき難い。
それはその人の人柄やオーラ、または相性などで上下しますが
基本知らない人に対してはある程度の警戒心を持って
中身のわからない内容に乗っかるのはリスキーだという認識を人間は持っています。
・会話のコミュニケーションが取れていない
しかし、初見の見ず知らずの相手でもね、中にはものすごく実はいい人もいるわけです。
初見でその人のバックベースがわからない人がどんな人か知る方法
「会話してみる」
会話してみれば、相手が何を望んでいるのか、どんな人物なのか視えてきます。
ちゃんとした人は相手の気持ち(今回で言えば勧誘されている相手の心理状況など)を慮ることができる。
-ああ、もしかしたらちょっと嫌な気持ちになってるかな?
とか
-この人は関心を持ってくれたかな?
とか
そういう感情や意識を持ってくれるはず。
しかし、宗教なら宗教でどっぷりハマっている人に限っては
「自分が信じている神さまや考え方が世界で最上のもの。それを理解できない受け入れないのは馬鹿!」
という感じで冷静な判断ができなくなってしまう。
自分の信じるものを他人が同じく信じてくれるとは限らない。
信じるものは人それぞれ違う。
そして、初見で内容がわからないものをインスタントに信じることを人はし難い。
ここは宗教勧誘だけではなく、その他様々は自分が好きなものをすすめる上で大切な部分だと思うんですよね!
・視野が狭い
視野が狭い。
信じるという行為、感情があればその反対に
受け入れられない感情も湧いてきます。
受け入れられない=何かしらの原因がある
受け入れられる=こちらも何かしらの原因がある
ということで、物事をすすめる際は、
一方通行ではなく、
自分とは正反対の気持ちも理解しないといけないですね。
・自分の考え以外を受け入れない
最後に失敗する宗教勧誘としては
自分の考えや信仰を強要してしまう。
これです。
人間、みんな考えが違うので、相手のすすめるものを受け入れる人間がいれば
それを受け入れない人もいて然り。
その割合は「勧めるモノ」によって変わってきますが、
まずは受け入れられないことが前提であることを念頭に置かないといけない。
■その他失敗例
・勧誘している本人が不幸そう
・アポなしの勧誘
・詳細がわからない勧誘
・他の団体批判をする人
などなど
勧める人が不幸そう(実際にうちに来た女性もお世辞ではないですが、ハッピーオーラは出ていませんでした)
だと、実際にこの人自体を客観的に見て、ああ効果がないのだろうな?
そう思いました。
また詳細がわからないものに人間は時間・お金を投資したいとは思いません。
今回も名刺も無ければパンフレットもない。
わけのわからない文言が書かれた紙が一枚。
それだと効果がありません。
また他の団体を批判する人。
さっきうちに来た方も
「私は前別の団体にいたのですが、そことは全然ちがいました」
「前のところをやめて新しい所に入って救われました」
と言ってましたが、
僕は思います。
「ああ、この人はまたこの団体もきっと近いうちにやめて次の団体に入ったらまたここの団体の悪口や批判をするんだろうな」と。
一個の団体が自分に合う、あわないはあります。
しかし、これは
「元カレの批判をする女性はいずれ今カレの批判をしだす」法則と一緒で
その人が勧めるものがいいものだとは当然思えないという感情がわいてきます。
また今日勧誘してきた方に言われて違和感を感じたのが
・理屈じゃない
・まずは入ってから考えましょう
・早口
理屈じゃない。と言われました。
もちろん神さまは理屈じゃないかもしれませんが、
それでも入信するしないってある程度の「根拠」「共感」「動機」がないと成立しません。
それを初見で理屈じゃないから入ってよ!これはあまりにも乱暴すぎますよね。
また入ってから考える。
きっと入ってから感じるのは激しい後悔でしょう。
最後に早口すぎる。
まくし立てるような早口になるのは
・自分の発言に自信がないから
という理由から以上が失敗する宗教勧誘となります。
では逆に成功する宗教勧誘とはなんでしょう。
これもドライブをしながら考えてきました。
成功する宗教勧誘とは
箇条書きで書いておくと
■成功する宗教勧誘 ・共通点や接点がある ・まずは本題にいきなり入らない ・相手の話をまず聞ける ・アポをとってくる ・必要性を感じられる ・良い印象を与えられる ・ニーズとのマッチ |
・共通点や接点がある
まずは何かしらの共通点や接点があること。
今回うちに来た子は高校の後輩ということでしたが
できれば信頼できる相手からの紹介であること。
これは大切です。
しかし、
※デリケートな勧誘
・まずは本題にいきなり入らない
まずはいきなり勧誘から入らないこと。
僕色々考えてたどりついた結論が、
相手と有効な友人関係が築けていれば興味がないものでも、応じる気持ちは少しでも生じる。
しかし、友好関係が築けていない場合、魅力的な提案でも一旦人は立ち止まる。
つまりは、相手との信頼関係のバロメータ次第。
信頼関係0:応じない。0.3秒だけ思考する。
信頼関係10:応じない。ちょっとだけ考えてみる。
信頼関係50:内容次第。リスクヘッジとか考える。
信頼関係80:内容次第だけど、ある程度は応じる態勢となる
信頼関係100:とりあえずは応じようという方向性で考える。日程など調節次第。
という感じでしょう。
この上記の信頼関係の上限はどうすれば変化するのでしょうか?
■信頼関係を上げる方法
・会う回数が多い
・共感できる部分が多い
・初見から利害関係ではない
・相性がいい
・共通点がある
つまりは、まずは利害関係で会うことから始めること
これが成功の第一歩。
初見から利害関係だったら
”伸るか反るか”
”つなぐか切れるか”
つまりは保留という状況にはなりにくい。
人間関係とは育てるもの。
育てるには時間がかかる。
時間をケチって、手間を惜しんで初見から本題に入ってうまくいく可能性は極めて低い。
手間をかけ時間をかけ、まずは友人関係を築くこと。
これが成功の第一歩。
しかし!
根本的に「打算的に何かしらの利益を得ようと人に近づく人は往々にして信頼関係を築くことはできません。」
・相手の話をまず聞ける
次に何かしらの要求を相手にしたい場合も自分の話を聞いてもらう前にまずは相手の話を聞くことが近道です。
今の状況や趣味、思っていることに好きなことなど
まずはポジティブな内容から入りましょう。
初っ端からネガに入りすぎるのは禁物。
相手のバックグラウンドを知ること
これが始まりです!
聞く8割:話す2割
これがスタートラインとなります。
・アポをとってくる
これもアポの時点で断られる可能性を秘めていますが、
まずはノーアポで人に会いに行くこと自体、不自然となります。
まずはそういう営業とか勧誘とか抜きにアポをとって会いにいきましょう。
これが実際に効果的でも多くの人はしません。
・手間かけるのが面倒くさい
・相手が初見で攻略できるチョロいやつだと驕ってしまう。
・計画的なビジョンがない。
一般的にアポなしで自分の要望だけ言ってもそりゃうまくいきません。
まずはフラットにお互い身構えず会えること。
アポを取ること。
・必要性を感じられる
必要性。
これ実に大きいですね。
そもそも論になりますが、
それが必要かどうか?
そこにかかるコストやデメリット、リスクを超えるWANTがないかぎり人間は拒絶します。
また必要性なんていうものは人によって異なるもの。
一般的な救世、救済というものはちょっと漠然としているので
訴求力が弱い。
心にドンと訴求し、またそれを欲しいと思わせること(押し売りではなく相手がほしいと思えること)
ここが大切。
その必要税や必然性をつかむためにも相手を知ることが大切ですね。
”敵を知り己を知れば百戦危うからず”
当然、相手は敵ではありませんが、
需要と供給をマッチさせるためにも
宗教勧誘にはマーケティングが大切。
・良い印象を与えられる
人間は初対面で相手に印象を持ちます。
過去の自分が出会った人間たちとの経験という名のデータベースから
この人はどのような人であるのか?
こういうケースの場合はどういう展開がありえるのか?
自分にとってリスクはあるのか?
良好な人間関係を築けるのか?
すべては過去経験や体験したデータベースから分析します。
初対面であった時に相手から何かを勧誘されるという事にたいして
多くの人間の持つデータベースが示すのは
「危険」
「DANGER!」
「離脱せよ!」
勧誘してきた相手がどのような人物でどのような願いを持っているのか
もしかしたら崇高な考えを持ってるかもしれないし、
共感できる部分もあるかもしれない。
友人になれるかもしれないけど、
結局、それ以上の危険を感じてしまいます。
今回のケースのように「高校の同級生であったり後輩」であるなら、
まずは
・自分の悩みを聞いてほしいと切り出す
・普通にお茶に誘う
など
何かしらの会う理由が必要。
それもハードルが低いもの、誘っても拒まれないようなものが必要です。
例えば、
遠くで
遅くに
高額なお店で
知らない人ばかい集まるような会に
そういうものに誘っても、つきあいたくないですよね。
・ニーズとのマッチ
最後にニーズとのマッチ。
結局、人間は根本的にどの人物もちょっとしたきっかけで何かしらの信仰を抱く可能性を秘めています。
それって結局マッチングするかどうか
タイミングが合うかどうか?
欲するものと提供するものが一致するか?
ここらへんになりますが、
それって初見でそもそもどうこうなるものでもないので、
ここまでまとめると
■成功する宗教勧誘とは
・まずは営業勧誘抜きでアポをとってライトな面会をする
・相手の話をトコトン聞く
・自分の話(勧誘以外)の人間臭い話をする
・お互いの共通点をお互いに発見する
・友人関係を築く
ここまでできて初めて、相手は聞く耳を持って
検討してくれる土台がようやくちょっとだけ構築できます。
急がば廻れ。
自分がもしも同じく何かに勧誘されたらどういうシチュエーションであれば承諾するのか
常に考えてみる。
おそらく、強引で短絡的な勧誘をする人は
自分が何かを勧められた時はおそらく受け入れないでしょう。
自分が受け入れることをしないのに相手に自分の勧めるものを受け入れてもらおうというのがそもそもの間違いですね。
時間もかかります。
手間もかかります。
時間も手間もかけても成功しない可能性も高い。
でもね、
自分が本当に良いものだと思うものを勧めるならば
三顧の礼ではないですが、
ちゃんと手間を惜しまずそこに熱量を傾けなくてはなりません。
これは宗教勧誘だけではなく、
自分がイベントを開く時や
何かしらの支援をお願いするときも然り。
とは言え、成功する方法を実践されて何かしらの宗教勧誘を仮に僕が今後されたとしても
99.9999%は断るでしょう。
そもそも信仰って人に強要されるものではないし、
多分自発的なものだと思うのです。
というわけで、
せめて宗教勧誘を今後される方は
相手が嫌がるような短絡的な勧めや押しつけだけはやめてみれば
随分と状況や心象は変わると思いました。
ライター:上條
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