人つなぎ屋さんの人脈論今回はメンターについて
どうも、人つなぎ屋さんの上條です。
人つなぎ屋さんとは人と人をつなぐお仕事。
点と点を線にする、そして人が必要としているものを探してくるのがお仕事です。
そんなわけで年間数え切れない方とお会いしたり、ご一緒にお仕事をしているわけですが、
そうこうしているうちに人つなぎ屋さん視点で「人間関係」「人脈」について考える機会が増えてくるわけです。
今回はメンター(師匠)について
■今回の記事をおすすめしたい人
・メンターに出会いたい人
・メンターっていうものがわからない人
・人生にさまよっている人
・成長したい人
・でも間違った方に成長したくない人
・人間不信な人
・行動力がないなと思っている人
ということでいってみましょう。
メンターに出会うにはメンターのイメージを持たなくてはならない
人と話しをしていると間違った「メンター像」を抱いている人が大勢いることを感じました。
間違ったメンター像は
・自分に人脈をもってきてくれる人こそメンター
・自分がピンチな時に危機を救ってくれるのがメンター
・自分に稼げる仕事を与えてくれたり紹介してくれるのがメンター
・自分はメンターの教えだけを守っていけば絶対に成功するだろう
はい、メンターは都合のいい仕事斡旋業者でもリクルートでもありませんよ!
きっと、人の数だけその人にあったメンターの形っていうのはあるでしょうが、
・より良きメンターには共通点があります。
それを今回は往年の映画
「ベスト・キッド」「スターウォーズ」で解説していきましょう。
ベストキッドのメンターはミヤギさん
これを読んでいる世代はベストキッドを知らないかもしれません。
ベストキッドとは
いじめられっ子がメンターの老人と出会い、日常生活の中で空手のエッセンスを学び
強くなっていくという物語。
監督はジョンジーアビルドセン
ロッキーシリーズの監督です。
音楽はビル・コンティ(こちらもロッキーなど素晴らしい音楽を生み出しています)
ベスト・キッドシリーズは
ノリユキ・パッド・モリタ扮するミヤギさん(メンター)
ラルフ・マッチオ扮するダニエル・ラルーソ(転校してきたばかりのいじめられっ子)
が悪の空手組織、コブラ会からの迫害に耐え、強さとは?
自分を守ることなり!
と見出していく成長青春ストーリーです。
師匠ミヤギさん
弟子のダニエルさん
この映画で学べるメンターというものの在り方について
1.メンターは自分から現れない
2.自分からメンターを求め探した時にメンターは現れる
3.空手は自分を誇示するためのものではない
基本的にこの3つ。
都合よく、メンターになる人が自分の元に向こうからやってきてくれるのは稀。
基本的にメンターを探すには、自分から出向かないといけません。
これは例えば誰かから教えを乞う時も
相手が教えてくれるのを待つのではなく、
自らメンターに教えを乞う積極性と自発性が大切。
今より成長したい、何かを掴みたい
前進したいなんて思った時にメンター(師匠)から教えを乞いたい。
それは相手が「これはね~こうするんだよー」というのを待つ前に
自分から聴く。
この姿勢が大切です。
またメンターが現れる条件というものは
・自分に迎え入れる準備ができた時
・きちんと勉強をし、自己成長に伴う行動ができている時
・何かに打ち込めるとき
になります。
これは出会いがないと、嘆いている人と全く同じ心境で
何もしない=暇=寂しい=恋したい!=出会いがない
と嘆いている人に永遠と出会いがないのと同様に
行動量に応じて出会いはやってくる。
いち早く、メンターと出会えるのは
自ら学び、自ら動く者である。
これがメンターというものに出会える一つの真理であり、定理であります。
空手は自分を誇示するものではない。
映画ベスト・キッドでは、最後にダニエルさんは空手大会で優勝します。
そしてベストキッド3では、王者としてディフェンディングチャンピオンを目指したい!というダニエルさんに対して
ミヤギさんはいいます。
「空手は自分を守るもの、自分の尊厳を守るものだ。決して力を誇示するものではないよ」
と空手大会への参加を渋ります。
空手で強くなるのは、
大会に優勝して、俺TUEEEEE!!!!!っていうのを感じたいからではなく、
自分の日常を守るもの。
武力(これは自分のスキルや才能)を無闇矢鱈にひけらかしていては
無意味にただただ敵を作るだけ!
それは本当の意味での平和ではない。
この考えは尊師の兵法にも同様のものが載っておりますが、
”百戦百勝は善の善なるものに非(あら)ざるなり。
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。”
▶百たび戦闘して百たび勝利を得るというのは、最高にすぐれたものではない。
戦闘しないで敵兵を屈服させるのが、最高にすぐれたことである。
つまりは必要以上に自分すごいアピールをする必要はない。っていうわけなんです。
そう考えてみれば、
実社会でメンターを求める前にベスト・キッドを見て、また孫子の兵法を読んで見るのもまたあり。
一番良くない悪手は、己のステイタスのため、ファッション感覚で流行でメンターを求めるミーハーな考え。
・本田健の本にメンター大事って書いてあったから…
・金持ち父さんとか大富豪の教えとか、成功者の本はメンターとの出会いが載っていることが多いから…
だからメンターを探そう!
流行として、なんかメンターメンターって偉い人が言ってるから自分も乗っておこう。
なんて思っていると、
覚悟が鈍ります。
実際にメンターとの出会いっていうのは生易しくありません。
本当にメンターとの出会いを活かしたいならば、
それ相応の覚悟、そして行動でメンターとの出会いに応えないといけない。
つまりは昨日までの自分の日常に別れを告げて、
一歩新しい自分にならないとこれはメンターと出会ったとしても勿体無い。
メンターと出会ったかどうかを判断する方法
本当にメンターと出会った場合の判定方法
・日常が変わる
・今まで自分が浪費していた時間が変化する
・自分の思考が成長する
・直感的に感じる。この人はメンターであると。
まずは、日常が変わります。
12月22日メンターにあいました。
12月28日休日だったのでいつもと同じくダラダラして過ごしました。
なんてことはありえない。
これは極論ですが、
本当にメンターと出会うと昨日とは違う今日の性格リズムになります。
今までアプリをしていた余暇に本を読むことになるかもしれません。
今まで何気なしにTVを見ていた時間が何かの学びに変わるかもしれません。
メンターに出会い、昨日と今日がまったく同じリズムだったらそれはちょっと違うんじゃないか?と思うと同時に
もう一つは、
自分はメンターとの出会いを活かせてないのではないか?
と考えてみる必要性があります。
結局、メンターとの出会いで大きく変わるのは、
・自分の危機意識
・自分のヴィジョン
・自分の行動
・自分の取捨選択
ここらへんが大きく変わります。
当然、一日二日でこれは変わりません。
長期的にそうやってきて習慣化されたことは短期間では変わりません。
今まで何年も夕飯の19時から23時まではテレビみて、ダラダラしてきた人が
ある日から別のリズムになるのはこれは負荷が大きい。
しかし、本当にメンターに出会った人物はこう感じます。
「胸がザワザワする。本当にこんなことしてていいのだろうか?」と。
今までの自分の日常の過ごし方を見直すきっかけとなるのがメンターとの出会いの一つの作用ですね。
スターウォーズから学ぶメンターとの出会い
スターウォーズでは、メンター役は言わずとしれたヨーダです。
ヨーダの劇中での言葉でもっともメンターとしての言葉っていうのはこれだと思います。
You must unlearn what you have learned.
▶全てをすてなさい。君が習ってきたもの全てを。
つまりは、
・今までのこだわり
・自分が信じてきたもの
・自分の価値基準
・自分の好み、好き嫌い
・プライド
などなど
人から教えを乞う上で成功しない考え方は
相手の話を受け入れないこと(反論の要素を探すこと)
または斜に構えて話半分にしか聞かないこと
これは誰かに平服しなさい、ひれ伏しなさいということが言いたいわけではなく、
自分が教えを受け入れられないなら
疑うならば、教えを受けない方が良い。
この人だ!と感じ、教えを受けるのであれば、心を開いて教えを受け入れる土壌を作り出さなくては。
もう一度言いますが、妄信的に何かにひれ伏し、その人の教えを盲目に信じろとはいいません。
それは愚か。
自分の心の声、感性、直感、または経験をフル活用してみて、
この人は自分に教えをくれる人だと感じたら、
まずはその人の声に耳を傾けてみる。
このアンバイが中々に難しい。
何も疑いもせずただただ人の教えを受けても成長しません。
逆に、疑いすぎて猜疑心の中で半信半疑の気持ちで教えを受けても成長しません。
世の中には偽物が多すぎるから
何も考えなしに何かに傾倒するのはこれはリスクが高い。
かと言って何もかも疑いを持って臨んでしまうと今度は屈折してしまい
師の言うものを受け取ることができない。
ではどうしたらいいのでしょうか?
本当のメンターの見つけ方
これは人つなげ屋さんとしての観点ですが、
本当にメンターたる人物は
・独善的ではない
・利己的ではない
・教え方がうまい
・ちゃんと会話のキャッチボールができる
・自分の成長の中間ゴールまでの道筋をお互いに共有できる
・メンター自身も成長がある
ここですね。
・独善的ではない
▶僕は以前働いていた会社でのちの副社長が直属の上司でした。
その上司は、常にこう言いました。
「お前は俺の部下だから。俺はお前の上司だから。」
この上司である。君よりも上だから。
ということを強調しすぎていた。
本当に強いもの、権威があるものは言葉や態度で威圧しません。
同様に本当のメンターは独善的でもなければ
権力を無駄に誇示しません。
無駄な自慢話ばかりする人物はメンターたらざるや。ですね。
・利己的ではない
▶無料で教えてくれるから利他。
有料で教えてくれるから利己。
ではありません。
その師たる人物がなんのために教えをあなたに伝えているのか?
それが師のパフォーマンスであったり、一つのブランディングの一種という意味合いが強かったとしたら
それはまた真の師とは言い難いですね。
・教え方がうまい
▶師とは先生です。
メンターも先生です。
あなたにとっての先生です。
本当に良いメンターは相手にわかりやすいレベルで言語で教えようとします。
自分のレベルが100で弟子のレベルが15だとしたら、
100のまま教えても相手はレベル15なので理解できません。
これは100→15付近までレベルを下げて教えるという工夫と労苦が伴います。
自分は偉い。
自分はすごい!
このすごくて偉い自分のレベルの話が理解できないのは愚かだ。
当たり前です。
もしも100の話が理解できたならば、メンターを求めていないでしょう。
本当に良いメンターは指導力がある。
指導力とは師と弟子とのレベル差を理解した上での指導ができるかどうかです。
・ちゃんと会話のキャッチボールができる
▶会話ができない師匠。
気難しくて、昔気質な師匠。
口下手でもいいんですが、
きちんと自分がこうしたいという思いを言葉で伝えることができるメンターは良いメンターです。
これができないものは、
あたかも、
航海図を持たずに舟を出すキャプテン。
地図を持たずに砂漠を渡る道案内。
そんなところと一緒です。
メンターとはリーダー(導くもの)です。
導くものとして、こういう道のりを経て、こういう未来に到達したいというビジョンの共有は必要になってくるのです。
・自分の成長の中間ゴールまでの道筋をお互いに共有できる
▶共有できるかどうか?
これは言い換えれば、旅というものの過程や楽しさを共有できる人物こそ、良きメンター。
今どこまで進んでいるのかをきちんと弟子に理解させられる現状把握能力
自己分析能力を教えられるのがメンター。
・メンター自身も成長がある
▶またメンターは万能。
メンターは完成された人間。
なんて思っている方も少なくないのですが、
メンターも所詮は人間。
人間である以上は未完成、得意なことがあれば苦手なこともあるのが人間。
良き弟子は師匠を成長させるもの。
また良き師匠も弟子を成長させるもの。
お互いにミックスしあって成長していくものです。
人つなげ屋のメンター論まとめ
最後に今回のポイントをまとめておきます。
失敗しないメンターの探し方
・メンターっていう言葉に踊らされない
・メンターは都合の良い斡旋会社ではない
・自分の準備が整わない内はメンターには出会えない
・自分で会いに行かなくてはメンターには出会えない
・自分で学ぼうとしなくては本当の学びを得ることはできない
・本物のメンターに出会うと今まで通りの日常がざわついてくる
・権威ある人間に盲目的に信仰する者は本当のメンターには出会えない
・メンターとは問題提起のきっかけである。
・メンターとは中間目標や道筋を共有できる相手のこと
・別にどうしてもメンターと出会わなければいけないものではない
・まずは自分が独学で学びできる限りの限界まで学んだ人間はメンターに出会える
・寂しいのは暇な証拠。メンターに出会えないのも暇な証拠。
ということで、
メンターに出会えて、人生がかわった。
とよく本で読みますが、
これはちょっと言葉が足りません。
メンターに出会って、(これまでの日常を送ることに違和感を感じ、習慣が変わったことで)人生が変わった。
この()の中が大切なのです。
実はメンターに出会ったというきっかけを得て、自分で自分を変えていったのです。
ここらへんが今回の人つなげ屋さんのメンター理論です。
ライター:上條
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