頼まれ事は試され事、でも誰に?
最近思うのは、「頼まれ事は試され事」
この言葉がよく頭に浮かびます。
さて、今回はそんな誰しも大なり小なりあると思いますが、
頼まれ事をされた時に成功するマインドをご紹介していきます。
◯今回の記事をおすすめしたい方は ・人から頼まれ事をされやすい人 ・人から頼まれ事をされるのですが、なかなか不本意な人 ・自分でなかなか頼み事をできない方 ・人間関係で悩んでいる方 |
頼まれ事は誰から試されているのだろうか?
さて、本題ですが、たのまれ事は試され事。
この試されという部分は一体、自分は誰に試されているのでしょうか?
・頼み事をしてきた相手
・神さま
・それとも
僕の見解では、一番は「頼み事をされた自分自身」に試されている。
メタ発言かもしれませんが結局「自分で自分に試されている」
これってどういう意味なのか?
自分に自分で試されているとは?
ちょっと心理学の話になりますが、「自己深層意識」というものがあります。
何かを決断する時や判断する時に、そこに対して自分が「YES」なのか、「NO」なのか?
という時に決めているのは、結局自分の深層にいる自分
つまり「自己深層意識」というものは、決断や判断をする時のその人の軸になる部分ですが、
結局、「自己深層意識」というものは、自分のこれまでの経験や挑戦などに基いて形成されてきます。
自分の浅い部分の意識では「GO!」だと思っても
自己深層意識で、「いや、ちょっと待てよ!そうはいっても過去の経験でそれはちょっと自信ないなって言ってるなぁ」
となると、その決断に踏み込めません。
ここで、話を戻すと、「たのまれ事は試され事」
小さいたのまれ事も、大きなたのまれ事も結局
自分の深層意識が
「果たして、一体どの程度の事を自分はできるのだろうか?」
「今はまだ未体験なゾーンだとしても、これ依頼うけてやってみたらできるようになるかもしれないよな?」
「でも、失敗したらどうしよう?」
なんていうことを考えてきます。
そこで、この試され事に一つ一つ丁寧に応えることで、
自分の深層意識も成長していきます。
たのまれ事を受ける断るの基準とは
人は生きている限り、諸々の事を人からたのまれますし、
自分もだれかに何かしらを頼むこととなるでしょう。
そういった時に、受けるor断るの基準となるものを紹介していきます。
シンプルです。
「自分の心が望まないことは断る」
「やりたくないと思うことはしない」
あとはポイントとしては、
◯自分の利だけで決めない
◯直感で決める
ここになります。
僕の考え方では、
「人からたのまれ事をしたけど、それっていくらになるの?」
という考え方や
「それって結局お金になるの?」
っていう事が先行してしまう、利ばかり追いかけると、今度は「理」に合わない事があります。
自分の心がやりたいと思うことが仮にマネタイズできないとしても、
それは巡り巡って自分に何かしらが返ってきます。
しかし、自分にとっての身近な利があるなしだけで「受ける」「受けない」を決めてしまうと
ある種の機会を損失してしまうことがあります。
朝三暮四なマインドでやっていると、小さな部分にだけこだわって
大きな部分を見逃してしまいます。
ここで、決めるときに思い出してほしいのは
「たのまれ事は試され事」
これです。
自分から常に試されているんだという意識で
自分がその頼みごとに対してどうするのかを考えてみるといいですね。
ライター:上條
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