輝かしい過去の思い出は今も胸の中
おもちゃ屋さん、ハローマック。
1985年オープンだから、私も幼少の頃(小中あたり)によく親に連れて行ってもらった記憶がある。
ただのおもちゃ屋さんではなかった。
そこは夢の国だった。
クリスマスやお正月には、よく両親におもちゃをねだったものだ。
そんな両親も年を取り、母は他界してしまい、
私ももう子供というカテゴリからはとっくに卒業し社会人12年目だ。
でも、
でもね、あの頃を思い出すと「ハローマック」は特別な場所だったと思う。
夢があって、家族の暖かさがあって、
キラキラ輝いていた。
それがハローマック。
でも
でも
でも、今はもうない。
いつか、人は大人にならなきゃいけない。
以下、ニコニコ大百科から———————-
ハローマックとは
正式名称は「おもちゃのハローマック」で、1985年12月に第1号店、第2号店を同時開店した。
一時は全国で500店舗に迫る程の店舗数を誇る有名店となったが、
2009年2月にチヨダが玩具販売事業から撤退することになり、
ハローマックは日本から消えることになった・・・
店舗の外観はお城がモチーフで、やけに尖ったよく目に付くお店だった。
尖った部分には車に乗ったライオンのキャラクターがプリントされている。
このキャラクターは「マックライオン」という名前らしい。
店内でよく流れていたハローマックのイメージソングは「パジャマトリッパー 」と言い、
濱田マリさんが歌っていた。
チヨダがハローマックの店舗を再利用して靴屋にしていたりするので、
現在でもハローマックの名残を感じることが出来る。
一部が尖り、城壁のように上部が凸凹した建物ならば、大体は元ハローマックである。
尖っているだけならアルペンの可能性が高い。
おもちゃを買うならハローマック。
そんな子供達は多かっただろう。
ハローマックはもう無いが、子供時代によく通っていたおもちゃ屋、模型屋などがあるなら久しぶりに行ってみてほしい。
そこでおもちゃを眺めているとなんとも言えない懐かしさを感じることだろう。
2012年末にはマックライオンがTwitterを始めた。
その何とも言えない哀愁タップリの悲壮感に涙ぐむユーザーも多いとか。
特に時折ト○ザらスへの激しい憎悪のつぶやきが入ることもあるので、リアル感タップリである。
参考:ニコニコ大百科————————–
現在、20代半ば~30代半ばにかけては、知らない人はいないと思われるハローマック。
今回はそのハローマックのツイートをご紹介しよう。
(下のはそのツイートに対するおれのつぶやきだ。)
覚えてるぜ!↓これだろ?
そう、あの尖った屋根は昔、ハローマックだったんだ。見覚えある特徴的な建築。
でも、鮮明にはもうあの頃の記憶が思い起こせないんだ。
余計なものばかり覚えすぎたわ。
ふくや、F○uk you!!!!でもそうやって町並みは変わって、人も変わってくんだな。
その延長線上におれらは今立っていることをわすれがちなだけだ。
ハローマックがあったからこそ、今がある。そういっても過言じゃねえ!!
見たくないのかな。記憶が薄れていくのがコワイんだ。
埋没されていく多忙な日常に、幼いおれはなんて言うだろう。がっかりするかな。
それとも憧れてくれるかな。もうそれはわからないけど、でも今を生きるってお別れしても泣かないってことだ。
ワクワクは、大人になってからも感じられるさ。あの頃ほど、何もかもが鮮やかにもう見えないだけさ。
そう、子供は終わったよ。確かに。でも大人だからこそ見える景色もあんだ。
おれは生きるよ。
大人は仕事に、子供はDS。それが現実だ。
でもそこに愛情をあたたかさを見つけて生きてきたいもんだ(独身だがw)
ゆめだけど、俺達の心にはいつまでもおまえはいるぜ!
わすれねえよ!ずっと!ありがとうな。本当に。ありがとう!!!!!!ごめんな大人になっちまって。
そうだな。でも大人だって時に夢をみるぜ。そう、おまえの店にかよっていた頃のように、阿呆な夢をな。
というわけで、ハローマック、のツイートを無駄にリツートしちまったじゃねえか!ちくしょう。
悲しいな。
成長するって。
子供じゃいつまでもいられないって。
でもそんな子供だったおれらがうんと踏ん張ってこの国を守ってかなきゃいけないんだ。
親父やかあさんがしてくれたように。
writer:かみじょー@ノスタルジック
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